The Zodiac Brave Story
第一章 持たざる者

BACK NEXT INDEX


35.噂


 エルムドア侯爵の救出から二週間後、遥か一千ドーマの長路を越え、ランベリー領より迎えの部隊三百騎余りが、ガリオンヌ領の成都イグーロスに到着した。
 ランベリー領は遠国である。
 ガリオンヌ領とは広大な王領ルザリアを隔てており、主要な街道を通ったとしても、険しい山脈を二つも越えなければならない。
 自然、二国間の交流も限られたものとなっていた。
 イグーロスの市民は、普段見慣れた北天騎士団の装いとは、随分と意匠を異にしているこの一集団に対し、遠慮なしに好奇の眼を差し向けた。
 葡萄酒を思わせる臙脂色を基調とした軽鎧は、小さな板金を革紐で繋ぎ合わせて作られており、駒の動きに合わせて、それがシャラシャラと鈴のような音をたてた。身につけた得物を見ても、刀身がやや反った剣や、曲線的な鋭い刃をもった槍、大人の身長ほどもある長弓など、どれも独特な形状をしている。
 事実、イグーロスの衆目の大半にとって、それらは人生で初めて目にしたランベリー文化であった。
 それほどに、この二国間の隔たりは大きいのである。
 この度、エルムドア侯がラーグ公からの私的な会談要請に応えたのは、侯爵がちょうど王都に長期滞在中であったからで、さもなければ、侯爵自ら遠路を遥々越えてくることなどあろうはずもない。だいいち直接の会談自体、両者が自領の首長となって以来初めてのことであった。


 エルムドア侯爵帰国の前日、見習い騎士のアルガス・サダルファスは、イグーロス城内の迎賓館に滞在中の侯爵から呼び出しを受けた。
 アルガスは、にわかの声掛けに驚いた。というのも、彼はこの二週間、北天騎士団の下働きとして雑務をこなしていただけで、ほとんど主君の側近くに侍従することもなかったのである。侯爵御自身の救出に携わり、また、他領の地において、現状唯一の臣下であるこの身の扱いとしては、正直、あまりな不遇であるとの感を否めないながらも、彼はきわめて実直に、今日まで敬愛する主君の身を案じ続けてきたのである。
 そんな折、ランベリーから侯爵お迎えの大部隊が到着したという報せを聞き、これでようやく主君と共に故郷へ帰ることができると安堵していたところへの、今度の呼び出しであった。
「アルガス・サダルファス、参りました」
「うむ、よく来てくれた」
 久々に間近に見た主君の姿は、砂漠の廃墟の地下に監禁されていた時と比べれば、見違えるほどに元の壮健さを取り戻していた。アルガスは、同じ男性を見る目としては、少々熱っぽ過ぎる視線を無意識に注いでいた。
「お健やかなご様子で、なによりです」
「そうよな、イグーロスには腕の良い治療師も揃っているし、何より食がすこぶる良い。あと、酒もな」
 客室の円卓上には、色とりどりの果物を載せた銀の皿と一緒に、葡萄酒で満たされた硝子瓶が置かれていた。
 葡萄酒といえば、古くよりランベリー地方の名産品であるが、近頃では、ここイグーロスでも、土地に合わせて品種改良された葡萄を用いた酒造が盛んとなってきており、ガリオンヌ領の重要な交易品の一角を占めるまでになっていた。ランベリー産は、"ブラッド・ウォーター"とも呼ばれるとおり、血のような鮮明な赤色と、果実そのものといった豊潤な香りを特徴とする一方、イグーロス産は、深みのある紅色に、ランベリーよりは淡白ながらも、甘みのある香りを特徴としている。
「香りは我がランベリーの物には劣るが、これがなかなか、味の方も馬鹿に出来ん。ガリオンヌもこれほどの物を産するようになっていたとは、いやはや、思わぬ収穫であった……そちはもう、口にしたか?」
「いえ、私はまだ……」
 アルガスは、ようやく謁見に達しながら、主君がなかなか用向きを伝えてくれないことに、内心やきもきしていた。大の食通としても知られている主君であるから、その喜々とした話しぶりからも、ここ二週間のうちに、イグーロスの美酒美食をもって、長らく貧食に耐えてきた舌を大いに喜ばせていたことが窺われる。どこそこの産の有角牛のステーキが美味であったとか、ロマンダ地方から輸入された珍しい香辛料が気に入ったので、うちでも買おうとか、しばらくそんな話が続いた。
「お……ついついはしゃいでしまったな、私としたことが」
 エルムドア候は、ハハハ、と、壮年の男とも思えぬ品の良い笑い方をする。
「──さて、貴公には、まだきちんと礼をしていなかったな。こたびのそちの働き、まさに一千騎長の働きに値するものである。この功は、大いに貴公の家の名を助け、名門サダルファス家の名誉を取り戻す足掛かりとなろう」
「あ、ありがたきしあわせ……!」
 アルガスは、歓喜に耐えずといった感じで、面を伏せた。
 ゼクラス砂漠からイグーロスへの帰還途上、魔法都市ガリランドの地で主君より報恩の詞を賜った時とは、また違った感情が、彼の内で湧きあがっていた。もしやこのまま、かつてのような扱いに戻るのではないか──味方を敵に売った卑怯者の家の子として蔑まれる日々に戻るのではないか──と、ここ数日来、彼の心に沁み込んできていた不安は、しかし、ここで再度、確たる喜びへと変わっていた。
「いま再び侯爵さまの御もとにお仕えできますこと、心より嬉しく存じます。このアルガス、より一層忠勤に励んで参る所存にございます」
「結構なことだ。その心意気に見込んで、そちには、もう一働きしてもらおうと思う」
「はっ! いかなる御命にも心身を賭して励む所存です」
 アルガスは、ようやく本命が言い渡されることを予感し、無意識に気を引き締めた。しかし、次に主君より下された言葉は、喜び勇んでいた彼の若い心を、少なからず動揺させた。
「実はな、そちにはいましばらく、ここイグーロスの地に留まってもらおうと思っている」
「は……?」
 アルガスは当然、戸惑いを覚えた。彼の脳裏に思い描かれていたのは、主君を救い奉った忠功第一等の英雄として、祖国に凱旋を果たす自身の雄姿であったのだ。
 ──だのに我が主君は、遠い異郷の地にこのまま残れという。どんな下命にも従うと申上した手前ではあるが、さすがのアルガスも、その意図を測りかねた。
「おそれながら、……その、お役目というのは」
「それだが」
 エルムドア侯爵は手招きして、アルガスに対面の座席に着くよう促した。彼が遠慮がちに腰を下ろしたのを見届けてから、侯爵はいっそう声を落として言葉を続ける。
「そちも薄々聞き及んでいることとは思うが、畏国を取り巻く情勢は、いよいよ穏やかならぬものとなってきている。こたびの骸旅団の暴走は、近づきつつある激動の小さな予兆にすぎん──しかし、大きな動きは、王都を中心として、徐々に、そして着実に畏国全土に広がりつつある」
「…………」
 アルガスは、落胆の気持ちはひとまず置いて、主君の話に耳を傾けた。しかし、畏国の大情勢と自身の役割とが、どのように結び付くのか、今ひとつ明確に想像することができない。
「ここイグーロスはもちろん、我がランベリーとて、畏国を包み込まんとしている暗雲から逃れることはできぬ。いずれ来るべき時に備え、今各地の有力者が、互いの腹の探り合いをしているところだ……誰が味方で、誰が敵なのかということをな」
「では、侯爵さまも……?」
「ああ。想定外の事態によって今日まで引き延ばしにされてしまったが、ガリオンヌ公ラーグ・ベストラルダがこの私に"私的な"会談を申し込んできたのも、おそらくそのためだ。旧来ゴルターナ公寄りの私を懐柔するつもりだったのか、あるいは──」
「……?」
「亡き者にしようとしたか」
「えっ……!」
「ハハハ、驚くのも無理はない。だが実際、私は賊どもにこの身を奪われるという不覚をとった。──正直、嵌められたと思ったよ。待ち構えていたかのような手際の良さだったからな。あのダイスダーグ・ベオルブあたりが策を巡らせて、我を害さんがために賊を抱き込んでいたとしても、不思議ではない」
「そんなことが……しかし、侯爵さまは、そのことを御承知で?」
「真偽のほどはわからん。だが、彼らは友好を求めてきた。むろん、それを拒むつもりは無い」
「では侯爵さまは、ラーグ公にお味方すると?」
「それはどうかな。机上では笑顔で手を握り交わしていても、机下では互いの脚を蹴り合っているというのが外交というものだ」
「…………」
「ちと、前置きが長すぎたな。私は滞在中、何度かラーグ公と対談する機会があったが、その折に、友好の証として我が方から人質を一人、預けることを約束した」
「人質……ですか?」
「そうだ」
「…………」
 アルガスは、瞬時に、主君の心づもりを理解した。主君もまた、それが当然理解されるものと思っていることは確かである。
「つまり……私が人質としてイグーロスに留まる、ということですね」
 侯爵は微笑を絶やさず、静かに首肯する。アルガスは、素直に喜ぶ気にもなれず、目を伏せていた。
 人質といっても、外交上でやりとりされる人質の役割は、形式的なものにすぎない。この場合、ある程度の制約の他は、原則的に人質の自由は保障されており、平時は賓客として遇されることすらある。人質となった者は、異郷の地の文化や学問を学び、いずれは故郷にそれを持ち帰ることを期待されている。
 しかし、現在のように不穏な情勢下では、人質の立場も微妙なものとなってくる。万一、ガリオンヌ・ランベリー間の友好関係が破綻するような事態になれば、再び故郷の土を踏むことは難しくなるだろう。
「ランベリー侯爵家に連なる旧家の子であるそちならば、人質としての資格は十分だ。──とはいえ、立場としては一見習い騎士に過ぎぬ身。ラーグ公は人質受け入れを承諾して下さったが、これで真の友好関係が確約されたとまでは考えていないだろう。……むろん、私もな」
「では、私は、どうすれば……」
「案ずるな。そちは見習い騎士として、このまま北天騎士団に従ってもらう。そして、私がランベリーに帰還した後は、折に触れてガリオンヌ領の内情を報せてくれればよい」
「そのようなことをして、見咎められないでしょうか?」
「それくらいのこと、いちいち気に懸けるラーグ公やダイスダーグの器でもあるまい。──それと、いま一つ」
 言いながら侯爵は、銀の指輪をはめたひとさし指を立てる。こうした一挙動も、いかにも貴公士らしい。
「聞けば、そちはベオルブ家の末弟に命を救われ、私の救出まで彼と行動を共にしていたそうだな」
「はい、ラムザ・ベオルブは、私を部隊の一員として迎え容れ、侯爵さまの救出に協力してくれましたが……」
「彼は、どのような人物であったか?」
「人物……ですか」
 アルガスは、主君の唐突な質問の意図を測りかねながらも、とりあえず、今まで自分が抱いてきた、ラムザ・ベオルブという人間の印象に、もっとも近い表現を探した。
「武門の棟梁家の子とも思えぬ、何と言いますか──フワフワしたやつでした。いかにも、苦労知らず、といったような」
「そちは、そう見るか」
「はい」
「なるほど……」
 侯爵は、つと顎を引き、薄笑みに何かを反芻するような素振りをみせる。
「しかし、あのウィーグラフと正面切ってやり合う気概は、並大抵のものではあるまい。あれを見て、私は個人的に彼に興味を持ったのだ。彼が今後、どういった行動をとるのか──それを、そちに観察してもらいたい」
「……は」
 アルガスは、主君がラムザを一目置いているらしいことに、どういうわけか、無性に苛立ちを覚えた。自分がこれまで尽くしてきたあらゆる献身が、丸々無視されたような気さえした。
 とはいえ、時に女のような甘さを見せたかと思えば、危険をいとわず困難に立ち向かう頑なさを見せもするラムザ・ベオルブという人間の像が、彼の中で、いま一つ定まっていないことも事実ではある。ただ、そのことが、ラムザという人間に興味を持つということなのかどうか、アルガスには分らなかった。
 その翌朝、エルムドア侯爵は愛鳥白雪に跨り、三百騎の迎えの兵を引き連れて、イグーロスを発った。見送りには、在イグーロスの北天騎士団が総出で城門の両側に列をなした。
 アルガスは、深紅色のマントを翻し、臙脂の縅(おどし)に身を包んだ優雅なランベリー近衛騎兵隊の姿に見惚れながら、いつの日か、あの一団に加わる己の姿を夢想していた。


 かくして、侯爵誘拐事件は一応の収束をみた。
 この事件は、ガリオンヌ・ランベリーの両国間に少なからぬ緊張をもたらしたが、結果として、エルムドア侯爵は無事帰還、法外な身代金を支払うこともなく、主犯のギュスタヴは死亡という、おそらく考えうる中で最も望ましい形での幕引きとはなった。そのことには、北天騎士団の参謀部はもとより、ガリオンヌ領府上層部までもが、正直に胸を撫で下ろしたところでもある。
 さて、いうまでもなく、この一大事はラムザ・ベオルブという一人の若人の名を否が応にも世間に知らしめることとなった。
「侯爵殿を救出したのは、あのベオルブ家のご三男だということだ」
「というと、執政官殿とザルバッグ総帥殿の弟君か」
「まだ見習い騎士のご身分ということだが、これなら将来も有望というもの」
 そんな声が、あちこちで聞かれた。
 もともと、ガリオンヌ領府の要職に就く年長者二人とは腹違いということもあり、ベオルブ家におけるラムザの存在感は、従来かなり薄いものであった。ベオルブ家の内情に多少通じている者であれば、彼の存在くらいは認知していたであろうが、かの家のことをよく知らぬ世間では、今回の大手柄のことがあって、初めてラムザの名を知ったという者がほとんどであった。
「お手柄でしたな、弟君は。さすがはベオルブ家の御曹司」
「なに、若者の勇み足がたまたま良い方向に転がっただけです」
 ベオルブ家の長であるダイスダーグは、挨拶代わりに送られる弟への賛詞に対し、身内の人間として当然な謙虚さをもって返していたが、その表情は、なかなかに浮かばれなかった。
 彼自身としては、家の継嗣に関わる重大な鍵を握っているかもしれない弟のラムザが、必要以上に注目を浴びることは、どうしても憚られた。それに、将来的にラムザを担ぎ上げるような勢力が出てくることだけは、家の安泰のためにも、避けねばならないことであった。すでに、生前のバルバネスより厚恩を受けていた重臣たちは、まだ数こそ少ないものの、ダイスダーグの方針に反発しているという声も聞かれるし、そういう者たちに、万一後継の証であるレオハルトの剣の秘密を暴かれるようなことがあれば、彼の立場は一気に危ういものとなる。
「どうしたダイスダーグ、浮かぬ顔をしておるな」
 定例となっている会食の場で、主君であり、盟友でもあるラーグ公からそう言われて、ダイスダーグは咄嗟に笑みを取り繕わなければならなかった。
「一難去ったとはいえ、まだまだ問題は山積みです。賊どもを根絶やしにしない限り、そうそう浮かれてはおれません」
「まあ、それはそうだが。時には気を緩めんと、じきに参ってしまうぞ」
「お心遣いには感謝いたいます。ですが何分、こういう性分なもので」
「それはよく存じておる。──いや何、巷で妙な噂を耳にしたものでな。それが貴公を煩わせているのではないかと思ったのだよ」
「噂、ですか」
 "噂"と聞いて即座に、ダイスダーグは今現在把握している"妙な噂"のリストから、思い当たるものを探し当てた。日々更新されるこの長大なリストの中に、ダイスダーグ自身に関わる"噂"は、常にかなりの割合を占めている。
「──侯爵誘拐は私の謀略であったとかいう、あれですか」
「そう、それよ。やはりもう聞き及んでいたか」
「くだらん噂です」
「もちろんだとも。大方、ベオルブ家がこれ以上名を上げることを快く思わん者どもの放った流言であろう。もはや、貴公に問い糺すまでもあるまいが──」
「根も葉もないことです。子供でも、もう少しマシな噂を流すでしょう」
 ──彼の言葉に偽りはない。
 つい先日にも、王都ルザリアに外遊中の正妻アリーシャから、件の噂が早くも王都じゅうで流れているという事実を伝える文が寄こされたところである。そこには、ダイスダーグが、エルムドア侯爵とラーグ公爵の非公式会談の情報をわざと骸旅団に流した、というものから、大金を積んで、骸旅団の参謀ギュスタヴ・マルゲリフを侯爵謀殺の実行者として抱き込んだというものまで、好き勝手に装飾された噂のあらましが書かれていた。
 ダイスダーグは呆れつつも、こういう噂を作り出す連中にも、嬉々としてそれを口伝する連中にも、心底腹が立った。
 そして、そういう噂を流している連中のほとんどが、現実に、まずそういった陰謀や策略の糸に絡むこともない、取るに足らぬ者たちであることを、彼はよく心得ていた。
「仮にそのような謀を用いたとして、我らに何の利があるというのです。愚策というのにも及ばぬ愚策でありましょう」
「そうよな。しかし、本物の策士は、上策をあえて愚策に見立てることもあるという」
 何か含蓄のあるラーグ公爵の視線を、ダイスダーグは持ち前の鉄面皮でしらと受け流した。
「ありえぬことです」
「ハハハ、なに、つまらぬ冗談だよ」
 ラーグ公爵は、生真面目な友人をからかうように笑う。
「我らはランベリーに友好を求め、彼らはそれに応えた。盟友の危機に際しては、全力を尽くして救いの手を差し伸べる──そこに何の不義があろう」
 そう言いながら、公爵はイグーロス産の葡萄酒の注がれたグラスを一息に飲み干す。つと、彼の口元から垂れた赤い雫が、純白のシルクの前掛けの上に血のような染みを描いた。
「──ともあれ、こたびの弟君の活躍ぶりは見事であったな。方々、その噂でもちきりだよ……実際、貴公の耳を煩わせているのはそちらであろう?」
「ええ、まあ……」
 弟の話題を持ち出されるたび、ゆらと心に波が立つのを、ダイスダーグは嫌でも自覚しなければならなかった。
 公爵の言うとおり、その話題は散々彼の耳を煩わせているところである。しかし、弟ラムザと自身との間に横たわる真の懸念事項については、つまらぬ噂話に浮かれる世間はもとより、盟主たるラーグ公爵ですら、知る由もないことであった。
 ただ、彼が怖れているのは、自身の中にある"怖れ"が、相手に伝わってしまうことである。
 ダイスダーグ・ベオルブという人間は、常に"剃刀"のごとく、冷徹かつ無機質であらねばならぬ──
「弟のラムザには、一仕事与えてやったところです」
「ほう、それが貴公なりの労いというわけだ」
「今回のことは、多分に運に助けられたこともまた事実です。一度の幸運に恵まれたくらいで、いちいち図に乗ってもらっては困るのでね。私に認められたいのであれば、実力で示してもらわねば」
「さすが、"剃刀"ダイスダーグ殿は肉親にも手を緩められない」
「肉親たればこそです。兄として、また武門の長として、彼には真に騎士としての成長を期待しているのです」
「ふむ、美しき兄弟愛とはまさにこのことよ」
「お戯れを言いなさる」
「いやなに、──貴公と弟君は、"不仲"との噂もしばしば聞かれたのでな」
 ヒヤり、と心の隙間に冷気が吹き込んだことを、この時のダイスダーグは認めなければなるまい。
「……また噂、ですか」
「ハハハ、気を悪くしたのなら謝ろう。私など、上も下も女ばかりなのでな。男兄弟というものに憧れもあるのだよ」
「よいことばかりでもありませんぞ……血を分けた兄弟とて、男子たれば"敵"ともなりうる」
 そう言ってしまってから、ダイスダーグは少し言葉が過ぎたかと後悔した。
 同時に、ラムザを無意識の内に「敵」と認識していたことを、彼は自身の言葉によって初めて気づかされたのであった。
(何を怖れているのだ……私は!)
 冷静さを失いつつある己の心を、彼は厳しく戒めた。
 しかし、あの秘密を知った時生じた黒い炎は、ダイスダーグの冷たい鉄の心の中で、今なお燻り続けていた。


BACK NEXT INDEX

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system