The Zodiac Brave Story
第一章 持たざる者

BACK NEXT INDEX


20.記憶の糸


 ドーターに到着してから一晩、宿で旅の疲れを癒し、翌日、ラムザたちはさっそく聞き込みを開始すべく、ドーターのスラム地区へ赴いた。
 ──ドーターのスラム地区およびその周辺区域において、略奪行為を盛んにしている一集団の動向を探り、逐次情報をアラグアイ方面第八遊撃隊を率いるミランダ・フェッケラン隊長に報告せよ。
 これが、彼らに与えられた任務であった。
 貿易都市ドーターは、対外交易や海運業を生業とする商人の街である。
 この街では、在ドーター執政官よりも、商人ギルドの総元締めとして絶大な発言力を有するヴァイス商会のほうが、実質的な権力を掌握している。また、富裕層は、そのほとんどが貿易海運業で財を成した商家であり、他の都市のような貴族階級の名家ではなかった。
 つまり貿易都市ドーターは、平民階級による自治支配を実現した数少ない都市の一つなのである。
 ──というと、少しばかり聞こえが良いが、実際には、他のどの都市よりも厳しい格差社会が、そこにはあった。
 富は集まるところに集まるばかりで、競争に敗れた負け犬は、どこまでも負け犬という社会。しかも、他の都市にあるような、権力者による弱者の庇護なども、ここでは望めない。
 生まれという超越不能な障壁は無いまでも、財力というものも、そう簡単に覆せるものではなく、そうした実情は、街全体の約七割をスラム地区が占めるというドーターの都市構造そのものがよく物語っている。
 そしてスラム地区には、街の治安を守る衛兵団の目も届かない所が多く(そもそも彼らは商家の金で雇われた私兵である)、そうした場所は、略奪や人身売買といった犯罪の温床となっているという。
 そんな中、近頃ドーターのスラムで勢力を伸ばしつつあるのが、"ムアンダ一味"だという。
 ムアンダという男は、先の大戦で功があったという傭兵崩れのごろつきで、彼に従う大勢の子分が、「地代」と称して、貧民たちから金やら何やらを巻きあげているのだという。
「どうか、私がこの話をしたことは、ご内密に」
 街の酒場で、ムアンダ一味についての情報を提供してくれた店の主人は、ラムザに保身を訴えた。
「先日も、一味の機嫌を損ねた男が吊るし揚げられましてね……よそから来た者らしいのですが、奴らの恐ろしさを知らんかったのでしょう。勇敢に立ち向かっておりましたが、数にはかないませんがな。殺されはしなかったようですが、ひどいもんでしたよ」
「できれば、その男から詳しい話を聞きたい。彼は今どこに?」
 ラムザが訊くと、店主はさらに声を潜めて、
「北天騎士団の方といっても、奴らにたてつくのはお勧めしませんがね」
「これが務めだ。居場所は分からないのか?」
「しかし、お若い騎士さんが、しかもそんな人数では」
「分からないのなら、他を当たるが」
「…………」
 ラムザがまったく怖気づいた様子をみせないので、店主は感心したようにその柔和な面立ちを見ていた。
(どう見たって、よいとこのお坊ちゃんにしか見えんが)
 彼らを頼りとしてよいものかどうか、値踏みしている様子であった。
 しかし、年老いた酒場の店主にも、この若者の眼差しの向こうに、力強い意志のようなものが感じ取れた。それはたしかに、彼が普段から接している人種には無いものであった。この辺りに住む人間は、老いも若きも、皆一様に死んだような目をしているのだ。
 やがて店主は、観念したように嘆息してから、話そうというそぶりをみせた。
「いくらだ」
 ラムザの傍らに立っていたディリータが、最初にもそうしたように、情報料の硬貨を取り出そうとするのを、店主は手で押しとどめた。
「いや、けっこうですわい」
「いいのか?」
 ラムザが、意外そうに言う。この街の住民は、嘘か真かも分からぬような些細な情報にも、いちいち金をせびってくるのだ。
「はい。ですから、この件はきっと、あなた様方にお頼みしますぞ」
「もちろんだ」
「では、紙などいただければ」
 店主は、ラムザの差し出した羊皮紙の切れ端に、簡単な地図を書き記した。
「ここに行ってみてくだされ。昔から、よからぬ者が集まる地域の一角ですわ。一味の者が自慢げに話しておったのを聞きましたのでな。たしかな情報ですわい。今はうち捨てられた古い礼拝堂がありますがな」
 ラムザはそれを受け取り、
「協力に感謝する」
 と礼を述べ、酒場を出た。


 外では、アルガスや他の士官候補生たちが待っていた。
「何か掴めたのか?」
 アルガスが問うと、ラムザは頷き、
「今からこの地図にある場所へ向かう。みんな、ついてきてくれ」
 そういうと、路地を歩き始める。一行も、その背に続く。
 ディリータはラムザに並んで歩きながら、
「どうするつもりだ」
 と、友の横顔に訊いた。
「できれば、僕らの手で解決したい」
「任務は報告までだぞ」
「目標に遭遇した際の交戦は認められている」
「しかし、この人数では……」
「相手の勢力を把握したうえで、判断するさ。だが、僕は潰す気でいく」
「本気か?」
「めずらしく弱気じゃないか、ディリータ。君も見てきただろう? このスラムの惨状を」
「…………」
「ほうってはおけない。それに、アラグアイの部隊に報告したとしても、彼らが協力してくれるとは思えない」
「たしかに、彼らはアラグアイの森に潜伏する骸旅団のゲリラにてこずっているというから、こちらにまで手を廻す余裕はないだろうな」
「だから、僕らだけでやる」
「そうか、わかった」
 ディリータは、友の意志を確認し、それ以上は口出ししなかった。
 ディリータとて、けっして弱気になっているわけはない。が、それ以上に、ラムザの変わりように少し戸惑ってもいた。
(貧民の救世主にでもなるつもりか?)
 ラムザが積極的に功を上げようとしてくれることは、ディリータにとっても喜ばしいことではある。だがラムザの場合、それは明らかに彼自身のためではなく、虐げられた民のための行動であった。
 救民の志士というのも、それはそれで良いのかもしれない。
 そう思う一方で、ディリータは恐れてもいる。
 ことによれば、ラムザは自身の名を汚してまで、民に尽くそうとするのではないか。ディリータは、ラムザの純心を良く知っている。それだけに、ラムザが、なんとなれば苦しむ民のために、平気でその身を捧げようとするのではないかと、そのことを恐れているのだ。
(やはり、こいつは父上の子だ)
 先代バルバネスが、まさにそういう人であった。
 バルバネスは、家門の繁栄を度外視してまで、民に尽くした英雄であった。おかげで、ベオルブ家に対する民の信望は今も厚いが、引き換えに、他門との関係性をないがしろにしてしまったことで、ベオルブ家の政治的地位は、バルバネスの存命中に大きく揺らぐこととなった。
 その安定を取り戻そうと、当主ダイスダーグは必死にラーグ大公の信頼を得んとし、バルバネスの意見を聞かずに、中央と繋がりの強い名門貴族の息女、アリーシャを妻に娶った。
 反面、「先代様に比べ、ダイスダーグ様は徳の浅いお方」という民の声もしばしば耳にすることがある。
 これを見ても、民の信頼と、政治的権力とを一手に握ることの困難が、良く分かる。
 家名を取るか、民心をとるか──
 この思想の相違が、ラムザとダイスダーグを対立させた背景にはあったのかもしれない。
 一方で、
(あるいは、ラムザなら──)
 とも思うディリータであった。
 ラムザの振る舞いが、いつしか平民からも貴族からも、認められる時がくるかもしれない。
 そのどちらでもない者として、ディリータは、今しばらく友の歩みを見守ることにした。


「ここか」
 半刻あまり狭く入り組んだ路地を歩いて、ラムザたちは、ようやく酒場の店主の示した礼拝堂の建物に辿り着いた。
 礼拝堂は相当に古いものらしく、外装の板張りはあちこち剥げ落ち、長らく手入れされていないのであろう門前は、雑草が伸び放題になっている。
「行こう」
 ラムザが古びた両開きの扉を手で押す。嫌な軋みをたてて、扉は徐々に開いていく。
 内部を見ると、そこには異様な光景が広がっていた。
「花畑……?」
 アルガスが、唖然としていう。
 床板が剥がれて地面がむき出しになっているところに、白い小さな花が無数に敷き詰められている。そこらの床には、白い花弁が、さながら雪のように散らばっている。
「なんだか、不思議なところね」
 工術士のリリアンが、ほっと息づく。なるほど、建物の中に花畑があって、屋根の破れ目からその上に燦々と陽光が注がれているさまは、ある種現実離れした神秘的な雰囲気を醸し出している。
「誰かが世話しているのかしら……?」
 白魔道士のローラが花畑の隅にしゃがみこんで、奇異の目で花々を観察しながら言った。
 すると、
「うぅ……」
 奥の方から、かすかな呻き声が聴こえる。皆、一斉に声のした方へ顔を向ける。
「誰かそこにいるのか?」
 ラムザが問うと、礼拝堂に並ぶ長椅子の一つから、むくりと人影が起き上がるのが見えた。
「何者だ」
 人影が、警戒心を含んだ声を発する。
「北天騎士団だ。先日、ムアンダなる者の一味に私刑を受けたというのは、そこにいる者か」
「…………」
 人影はおもむろに立ち上がると、屋根から差し込む光のもとに、その姿を晒し出した。
 騎士らしき格好をした男は、片腕を布で釣っており、片足も引きずっている。顔には青黒い痣ができているが、その面立ちに、ラムザは見覚えがあった。
「あれ、あなたは」
「ん? あ、お前は」
 手傷いの騎士──ベイオウーフと、ラムザは互いを指さす。
「たしか……ウルフさんでしたか」
「そういう君は、ベオルブの御曹司!」
 かれこれ、もう二か月以上前になる。
 放浪の騎士ウルフとラムザは、マンダリアの丘で、あらぬ疑いから骸旅団の女騎士、ミルウーダの手に捕らわれたのであった。
 状況が呑みこめずに戸惑っている周囲に向かって、ラムザは簡単に二人の出会った経緯を説明した。マンダリアでの事件について知っていたのは、ザルバッグの口から直接事件のことを聞き出していたディリータだけであった。


「本当に、世界は思いのほか狭いものらしい」
 リリアンとローラに怪我の手当てをしてもらいながら、ベイオウーフは感慨深げに言う。
 思えば、彼はレウスの山中でミルウーダとも再会している。
 ベイオウーフがそのことについて触れると、ラムザはことのほか驚いた様子で、
「あの騎士は生きているんですね!」
「ああ、彼女に会ったのはつい十日ほど前だ」
 ラムザは、立場を異にする者と少しだけ分かりあえたあの瞬間を、今一度胸に思い描いていた。同時に、最期までミルウーダの事を想いながら死んでいった、騎士レッドのことも思い出された。
「そうか。彼女はまだ生きて……」
「で、骸旅団の女の命を助けた上に、逃がしたわけか」
 その話を傍で聞いていたディリータが、鋭い指摘を入れる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! おれは別に、骸旅団に肩入れしているわけではないぞ」
 ベイオウーフが両手を振って否定する。
「あの、じっとしていてくださる?」
 足の傷に回復呪文をかけていたローラに注意されて、ベイオウーフは慌ててその場に居直る。
「なら、その女騎士の行方を教えてもらおうか」
「う、うむ……」
 ディリータの理に押されて、ベイオウーフは黙りこむ。
「ディリータ、この件については、あとで詳しく聞くことにしよう」
「…………」
 ラムザに言われて、ディリータは不満げに腕を組みながらも、さらに追及しようとした口を噤んだ。
「それで、どういうわけで、ムアンダという男を敵に回したんです?」
 ラムザが問うと、ベイオウーフは苦しげな表情を浮かべて、面を伏せた。
「全ては、このおれの責任なんだ」


 過日、花売りの少女エアリスを少々荒っぽい方やり方で窮地から救ったベイオウーフであったが、あの後、一味の報復からエアリスの身を守るために、彼は用心棒としてエアリスの行く先々に同行することにした。
 エアリスは、「そこまでしてもらわなくていい」と遠慮したが、「エアリスを護る」などと宣言してしまった以上、彼は彼なりに、行動で示そうと考えたのである。それに何より、彼は自分の腕に自信を持っていた。
 ──が、圧倒的多数を相手どっては、ベイオウーフの秘剣も及ばなかった。
「ゆうに五十人はいただろう。しかも全員が完全武装ときたもんだ」
 ドーターのスラム街で一番広い通りの真ん中で、ムアンダの手下どもは、ベイオウーフとエアリスの二人をすっかり囲んでいた。
 むろん助太刀などは無く、彼は孤軍奮闘したが、数の暴力に対しては、さすがのベイオウーフも防戦一方にならざるをえない。
 どう見ても勝ち目のない戦いを見せつけられ、ついにはエアリス自ら、
「私が質になるから、どうかこの人の命はとらないで」
 と、申し出た。
「なにを馬鹿なことを!」
 ベイオウーフはエアリスの無謀を咎めたが、彼女は聞く耳を持たない。
 ムアンダ勢のほうも、なかなか屈服しない相手に焦れていたところであった。仇はもう十分に痛めつけたことだし、エアリスというこの上ない戦利品を獲得したところで、彼らは意気揚々と引き揚げていった。
「おれが不甲斐ないばっかりに……」
 ベイオウーフは歯噛みして、拳を震わせている。その様を見て、ラムザたちも、やるかたない思いに目を伏せる。
 結局、ベイオウーフひとりが立ちはだかったところで、寄る辺を持たぬ少女の、無力なことに変わりはない。彼らの魔手にかかった時点で、もはやどこにも逃れようはなかったのだ。
 それが、このドーターという街の、理不尽な現実であった。
「事情はよく分かりました」
 長椅子に腰かけてベイオウーフの話を聞いていたラムザは、静かに立ち上がる。
「助けるつもりか?」
 隣に座っていたディリータが、友の姿を見上げて言う。
「当然だ。それに、ムアンダには相当の報いを受けてもらうことになる」
 毅然としたラムザの態度に、ベイオウーフもすがるような眼を向ける。
「本当か! 協力してくれるか!」
「これが我らの務めです」
 そして、仲間の顔を一通り見渡してから、
「みんなも、協力してくれるか」
 若い隊長の意志を受け止め、全員が力強く頷く。
「隊長殿の、ご指示とあらば」
 アルガスも、不敵な笑みを浮べつつ、乗り気をみせる。
 ──と、そこへ。
 礼拝堂の扉が軋みを立てて開かれたかと思うと、外の光を背に受けて、一人の男の姿が、白い隙間に浮かび上がった。
 一同、何事かと、そちらへ目を向ける。
「あ、貴様!」
 すかさず、そう言ったのはベイオウーフである。男は無言のまま礼拝堂に踏み込むと、ラムザたちの前で足を止めた。
「こいつらはなんだ」
 男が訊いたのに構わず、
「今までどこにいた! エアリスがムアンダの一味に捕まったんだぞ!」
 ベイオウーフが責めるように言い放つ。
「エアリスが?」
「そうだ! あれからお前は姿を見せないし、結局おれ一人で戦って、それで、エアリスは奴らの手に……」
「…………」
 男は険しい表情をして、黙りこんでしまう。
 その眼を、眉を。
 ディリータはただ一人、愕然として瞳に映していた。
 ──この男は!
 スウィージの森で、アルガスからウィーグラフの人相について尋ねられた時。彼は、知るはずのないウィーグラフという男の人相を、何故か知っている気がするという奇妙な感覚に襲われた。
 ──どうしてだ?
 己の胸に問ううちに、彼は幼いころの記憶に行きついていた。
 懐に収められた、父オルネスの形見の短剣。
 そこから導き出されたのは、彼の生家のある、ガリオンヌの農村の光景であった。


 牛小屋よりも小さな家の前で、幼いディリータは呆然と立ち尽くしている。
 彼の前には、背の高い騎士の姿がある。
 騎士の身につけている鎧や、深緑のマントは、泥や黒い染みで汚れている。騎士はベルトから革の鞘に収められた短剣を引き抜くと、それをディリータに手渡した。
「騎士オルネスは、最期まで立派に戦った」
 騎士は言う。
「オルネスは同志である私に、この短剣を託した。故郷に残してきた息子と娘に、きっと届けてくれるようにと」
 幼いディリータは、父の短剣に眼を落したまま、微動だにしない。すると、家の内から、妹のティータが出てきて、
「ねえ、ねえ、このひと、だあれ?」
 兄の服の裾を引っ張りながら、無邪気に問いかける。父の永遠に帰らぬことを理解するのには、彼女はまだ幼すぎた。
「お兄ちゃん……泣いてるの?」
 いつしか、ディリータの頬には涙が伝っていた。
 騎士はティータの頭をやさしく撫でてから、
「妹を、大切にな」
 それだけを言い残して、その姿は、索漠とした寒村の景色の内に消えていった──。


 男はふと、ただならぬ視線を感じて、それが発せられている方へ顔を向けた。そこには、ディリータの顔があった。
「……?」
 男もまた、不思議な感覚を覚えていた。
(この少年は……)
 しばしの間、見つめ合う二人。二人の間には、かすかな記憶の糸によって結ばれた空間が、たしかに存在した。
「ディリータ、どうかしたか?」
 友の異変に気付いたラムザが訊くと、
「いや、なんでもない」
 ディリータは、どこか上の空で、そう答えた。
 一方で、彼の中では、もやもやとしていた疑念の渦が、確かな形をとろうとしているのだった。
 彼は無心のうちに、胸に手を宛がっていた。
 ──父の死を告げられた、あの日。
 その衝撃のあまり、頭の隅に追いやられていた記憶。
 あの時、騎士は確かに、こう名乗った。
「……ウィーグラフ・フォルズ」
 小さく呟いたその声は、その場にいた誰の耳にも届くことは無かった。


BACK NEXT INDEX

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system