The Zodiac Brave Story
第一章 持たざる者

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38.再─骸の騎士・上


 東の端を仄かな薄明かりに染めた星空は、黒々とした野原の縁に切り取られていた。
 ややあって、その頂ちかい所から無数の人や陸鳥の影が突如として湧き上がってきたように見えた。
 その一群の足元には、そこかしこに大小の泥水溜まりを配した湿地が広がっており、その真ん中を突っ切っている街道はすでに一塊の軍勢によって横並びに固められていた。言うまでもなく、斥候部隊が骸旅団に奇襲されたことを受け、ウィングシェールの兵営から急遽出動してきた北天騎士団治安維持部隊の本隊である。
 しかし、街道を護る者たちが、予想外の方角から現れた一軍に対応するまでには、多少の混乱を要した。
「敵だッ! あそこに!」
 狼狽する騎兵たちの頭上に、まず乱箭が降り注ぎ、続いて鬨の声とともに軽快な戦士たちが防衛線の横面を駆け散らしていく。
 陣頭指揮を執る北天騎士団の騎士ゴルカスは、異変に気づくと、すぐさま陣容を変えるよう指示を下した。
 態勢の立て直しは素早く行われ、湿地の上で、本格的な戦いが始まった。
 この足場ではチョコボは役に立たないから、自ずと戦は歩行(かち)どうしの泥臭いものとなった。むしろ兵力で劣る骸旅団は、それを狙ってこの場に引き込んだ向きもある。彼らは周到にも、投げ縄を用いて、泥沼にはまった敵の足を掬い取るような真似までしてみせた。彼らの連携は散々北天騎士団を悩ませはしたが、もとより歴然としてある数の上での差は覆せるはずもなく、一人また一人と、泥水の中に斃れていった。
 乱戦の最中、ラムザはといえば、敵中にただ一人の人物を見出そうとしていた。
 無論、ミルウーダ・フォルズその人である。
 地形の難を頼みに、警戒の薄くなる方向を突くやり方などは、さすがウィーグラフの実妹と思わせるだけのものがある。捨て身の戦いではあるが、闇雲な突撃ではないことは明らかだった。
「おい! ラムザ!」
 彼を呼ぶ声がして、振り向くと、友のディリータが駆け寄ってきた。
「あまり独りで動かないほうがいい」
「どうして?」
 また"お守り係"の心配性か、とラムザは訝る。
「敵は追い詰められた鼠だ。わざわざ"餌"をくれてやることはない」
「僕が"餌"だって?」
「自分で言っていただろう。敵はベオルブの名に触発されるだろうと。これしきの数でできることといえば、せいぜい冥土の土産に君を道連れにすることくらいさ」
「そんなにやすやすとやられるもんか。──それに今の僕らは、ただの一兵卒にすぎない」
「…………」
 友の困惑顔を置き去りにして、ラムザはまたずんずん歩き出す。
 ──その時、後方で騎士団の角笛が鳴り響いた。
「集結の合図……?」
 ともかく、指示が出されたからには、街道を固める本隊の方へ向かわなければならなかった。
 途中、アルガスら見習い騎士隊の他の者たちとも合流した。
「隊長のくせに、今までどこへ行っていたんだ?」
 ラムザの顔を見るなり、アルガスは悪態をついた。
「すまない。何があった?」
「敵の別働隊が現れたらしい。街道の方から突かれたみたいだ」
「街道から……?」
 たしかに、今まさに街道の方で混乱が生じているらしかった。つまり、斥候部隊を奇襲したのとは別の部隊が他にあったということである。
「全部合わせたって大した数じゃないだろうに、わざわざ兵を分けるってことは、よほど兵の強さに自信があるんだろうな」
 アルガスの見立てに、ラムザも同意する。ひょっとすると、本隊を襲った方にミルウーダはいるのかもしれない。
 北天騎士団が集結を始めたことで、最初の攻撃を仕掛けてきた敵部隊はいきおい反撃に転じた。
 そちらの備えをディリータ中心とした幾人かの隊士たちに任せ、ラムザ自身はアルガスらと共に本隊の救援に向かうことにした。
 形勢がこうなってしまった以上は、なるべく被害を抑えるためにも、いったん退いて立て直しを図ることも一計である。そう断じて、ラムザはその考えを指揮官のゴルカスに伝えるべく彼の姿を探したが、どこにも見当たらない。
 そうこうしているうちに、複数の敵が彼らの前に立ち塞がった。
「フン、ガキか?」
 手に曲刀を提げた骸旅団の男は、そう言って鼻で嗤ってみせた。
「ロッソ、油断するな。そいつら騎士団の見習いどもかもしれねえ」
 仲間の一人が、横目で注意を促す。
「騎士だろうが見習いだろうが、ガキはガキだ!」
 ロッソと呼ばれた男は、言うなり曲刀を横薙ぎに繰り出した。
 ラムザは後ろ跳びに攻撃をかわし、自身もまた剣を構えた。
「…………」
「ちっとはやるみたいだな」
 が、二戟目に入る前に、思わぬ横槍が入った。正装の騎士たちが数人、ラムザを取り巻くようにして目の前に立ちはだかったのだ。
「ラムザ殿、お怪我は?」
 見れば、騎士の一人はゴルカスであった。
「はい、なんともありませんが……」
 まるで初陣の王侯貴族の子息のような扱いに、ラムザは少なからず自尊心を傷つけられた気がした。事実、そうした者たちと大して変わらぬ身の上ではあるのだが、ゼクラス砂漠までの経験が、世間が考えるよりも彼自身を大きな存在にしていたのである。
「ほう、ミルウーダが言っていたラムザってのはお前のことか」
「……!」
 敵がラムザの名を知っていたこともそうだが、ミルウーダもまたラムザの存在を意識しているということに、彼は少なからず驚いた。
(ミルウーダの狙いはやはり僕の命……!)
 ベオルブの御曹司という存在は、北天騎士団にさんざん苦汁を飲まされてきた骸旅団にとって、一番分かりやすい標的である。そんなことは、ラムザとて百も承知であったが、今の彼は、少しムキになっていた。
「そうだ、天騎士バルバネス・ベオルブの息子、ラムザ・ベオルブとは僕のこと。ゴルカスどの、僕は自分で戦えます。そこをどいてください!」
 ラムザは剣を構えたまま、ゴルカスの背中にうったえた。
「なりません! あなたの身に万一のことがあっては……」
「あったら、なんだというのです! 戦場で死ぬことは武人の本望です!」
「では、指揮官として命じる。あなたは下がっていなさい!」
「ぐっ……」
 こう言われては、ラムザも下がらざるを得ない。軍律の遵守を逆手に取られた形である。
 ゴルカスら正騎士たちは、ラムザに指一本触れさせまいと、剣と盾を敷き詰めあった。
 しかし、肉を目前に置かれた獣はそうやすやすとあきらめはしなかった。
 ロッソら骸旅団の戦士たちは、数と装備で勝る北天騎士団の正騎士たちを相手に、猛然とぶつかってきた。
 咆哮のような雄たけびと共に、刃が閃く。
「あっ──」
 敵の捨て身の攻撃により、正騎士の一人が斬られた。すかさず、ゴルカスらの反撃により、一人二人と続けざまに敵が斬り斃される。
 そのうちの一振りは間違いなくロッソをかすめたが、彼は地面に倒れるスレスレで踏ん張り、最後の力を振り絞って、ラムザに向かって来た。
 その必死の形相を、ラムザは真正面から受け止めた。
「しまった!」
 ゴルカスや、アルガスら他の見習い騎士たちが反応するよりも早く、一歩前に踏み出したラムザの一閃により、死力を尽くした獣の身体は、今度こそ地面に倒れ伏し、動かなくなった。
「……お見事」
 感心したように、ゴルカスが賛辞を送る。その口ぶりも何やら見くびられているようで、ラムザは気を悪くした。
「ゴルカス殿、無用な被害を抑えるためにも、ここはいったん退き、立て直しを図ってはどうでしょう?」
 つとめて何事もなかったかのように、彼は自身の考えを述べた。
「大戦(おおいくさ)ともなればそれも常道ではございましょうが、こたびはしょせん小勢どうしの戦。多少の痛手を負っても、このまま敵をせん滅するのがよろしいかと思われます」
「……わかりました。ただ、敵将ミルウーダ・フォルズは、少々因縁ある相手です。私に処置をお任せ願えませんか?」
「なるほど、先ほどの敵があなたの名を口にしていたのは、そういうことでしたか。……であれば、ラムザ殿にお任せ致しましょう」
「ありがとうございます」
 見返したいという気持ちが多少あったにせよ、ミルウーダの対処を任せろとまで言ってしまったのは、少々気が逸り過ぎたかとも思われた。
 それでも、彼女と直接剣を交えるべきは自分をおいて他にないと、彼はどこかでそう決めつけていた節がある。
 ラムザたちはその場を離れて、やや上り坂となっている街道をウィングシェール方面へ向かって駆けていった。主戦場はジリジリと後退し、すでにそちらの方に移動していたのである。
「いいのか? あんなことを言って……」
 アルガスですら、常にないラムザの強気に面喰っている様子である。
「前にも言っただろう。彼女とは少し因縁があるんだ」
「それは聞いた。つまり……お前の手でその女を殺すんだな?」
「そんなに簡単な相手じゃない」
「…………」
 その時、数名の骸旅団の兵士たちが、こちらに向かって来るのが見えた。
「ここは、我らにお任せを」
 すぐさま、前を行くゴルカスら正騎士の一団がそれに当たって行き、剣を交える。
 その場を彼らに任せ、先を進もうとしたところ、
「おいっ! あそこっ!」
 仲間のラッドが何かに気づき、ゴルカスらが戦っている場所から二、三エータ離れた所を指差した。
 そこには、両の手を天に掲げて、魔法の詠唱態勢に入っている一人の黒魔道士がいた。
 味方と示し合わせ、諸共に強力な黒魔法の餌食にするつもりらしい。
「させるかっ……!」
 すかさず、アルガスが弓に矢を番える。
 ラムザは、標的となった黒魔道士の、そのやけに小さな姿を見て、何となく嫌な予感がした。どう見ても、それは子供のように見えたのである。
「だめだ……アルガス!」
 咄嗟に制止しようとしたが、矢は既に放たれていた。黒魔道士の、特徴的な衣装であるとんがり帽子にそれは突き立ち、小さな身体は、あっさりとその場に崩れ落ちた。
「ふう……危ないところだった」
「…………」
「ん? どうかしたか?」
「いや……」
 ラムザは、しばし呆然と黒魔道士の斃れた場所を見つめていたが、
「まだ来るぞ!」
 というラッドの声に醒まされて、目を移した。
 見ると、さらに幾人かの敵が、あとから続いて来ていた。
 ゴルカスらは、まだ先ほどの敵と戦っていた。新手には、ラムザたちで当たる他ない。
 先頭には、手に鉞を持った大柄な髭面の戦士と、いま一人、その大男に比べると、大分身の細い、剣士の姿があった。
「……!」
 剣士の方を見て、ラムザは口を開きかけたが、それを遮るように、
「良い敵! 勝負ッ!」
 と、髭の戦士が挑みかかってきた。これに対し、ラムザ側はアルガスとラッドの二人が防ぎに立つ。ラムザは、髭の戦士に続いて仕掛けてきた三人もの敵を即座に斬り伏せ、その勢いを維持したまま、もう一人の剣士との間合いを詰める。
「ハアッ!」
 そのラムザの動きに対し、剣士は、軽く地面を蹴って、低めの姿勢から攻撃を仕掛けてくる。
 舞うような剣戟が二、三あってから、二人の剣士は再び間合いを取る。
「…………」
「…………」
 短い呼吸を置いて、剣先と剣先との間を、ピリピリとした空気が隔てる。
 このわずかな手合わせだけで、ラムザは、この剣士を相手に手心を加える余地などは、微塵もないことを理解した。
「もう、あなた方に勝ち目はない! 降伏しろ!」
 ラムザは剣士に呼びかける。無論、気後れしたのではない。この相手に対し、そのように通告することを、彼はあらかじめ用意していたのである。
 ──返答はない。
 剣士の──その振りかざした栗色の長い髪の間から、鳶色の鋭い瞳が睨め据えていた。


 鉞を持った大柄な戦士は、強かった。
 見習い騎士などでは、この手練れ相手に到底当たりえず、アルガスとラッドは大きく間合いを開けてしまった。
「騎士ともあろう者が、恐れをなしたか……! 覚えておけ、我こそはハドム党の頭にしてフォルズ兄妹の盟友、赤髭のハマだ!」
 戦士はそう名乗り、大鉞を振り上げて尚も見習い騎士の二人を追い回す。
 たまらず、アルガスとラッドは逃げの一手を取らざるを得ない。
「ラッド、お前が行け! その隙に俺が弓で奴を倒す!」
 と、アルガスが色を失った様子で喚く。
「無理だ! そんなの……わっ」
 横薙ぎに繰り出された一撃を、ラッドはなんとか小盾で凌いだが、その衝撃に耐えきれず、彼の身体は思い切り弾き飛ばされてしまった。
 それを見て、アルガスは今度こそ蒼白となった。元来、彼の得意は弓である。それは翻って、白刃を散らしての勝負に、彼が怖れをなしているということでもある。
「くそっ、こんな所で……ゴルカス隊長は……? ラムザは……?」
 もはや弓を構えるだけの間合いを取ることもできなくなった。アルガスは長剣(ロングソード)の柄を握り締め、この場をどう無事にやり過ごすかだけに全神経を注込んでいた。
 相手のハマは、肩で息をしながら、口ひげの間から白い歯を覗かせた。
「よもや、貴様なんぞがベオルブ家の御曹司ではあるめえよ。あのウィーグラフが、その名に恨みを抱くほどの家の子が、このような"腰ぬけ"であるはずが……」
「腰ぬけ……?」
「逃げたいのなら逃げろ。おそらくあの人が今、剣を交えている者こそベオルブ家の御曹司……おれはそっちを手伝わにゃならんからな」
 逃げ出したい思いと、貶められたままの名誉心とが、アルガスの中でせめぎ合っているのは明白であった。
 なおさら、ベオルブの名を引き合いに出されたことによる心理的影響は、無視できないものであったろう。
 そして、葛藤の末、彼自身すら思いもかけない言葉が漏れ出していた。
「ちがう、おれが……おれがベオルブ……ラムザ・ベオルブだ!」
 そう言ってしまってから、アルガスはぎこちない笑みを無理矢理顔に貼り付けた。
「ほう、あんたが?」
「そ、そうさ。おれの首が欲しいのだろう? 貴様ら死にかけの犬どもにできることといえば、せめてベオルブ家の人間を地獄行きの道連れにすることくらいだからな」
「ふん、口だけは達者のようだな……"御曹司殿"」
 アルガスの発した挑発がどのような結末をもたらすのかは、彼自身にも分かり切っているはずである。
 この期に及んで何故あんなことを口走ってしまったのか──彼は、人間の心理の不可解さを認めざるを得なかった。
「貴様のような"家畜"同然の輩に、むざむざくれてやる命はない!」
 不思議と、強がりだけは淀みなく出てくる。むしろ今の彼は、その虚勢を頼みにしているようですらあった。
「なに、おれが家畜だと?」
「そうだ。貴様ら家畜は、おれたち貴族に大人しく飼われていれば良いのだ。多くの平民どもが、口にせずとも本心ではそう望んでいるんだからな──それを貴様らは、平民の代弁者などとのたまって、盗賊まがいのことをしでかし、かえって罪のない民を苦しめている!」
「野郎……その下劣な舌を引っ込めねえなら、二度と口をきけねえようにしてやる」
「ほう、家畜の分際で飼い主の人間に逆らうつもりか? 貴族の中の貴族、ベオルブ家の一員である、この俺に?」
「だ、黙れ! ぐっ……!」
 耳まで紅にしたハマは、まさにアルガスめがけて跳びかからんとした。
 が、奇妙にも、その身体はバランスを欠いていた。
 アルガスの狂言は、結果として彼に寸余を与え、そのわずかな間に彼を窮地から救っていたのである。
 何故かといえば、ハマの背後から、低く、すばやく身体を差しいれてきた者があった。
 実のところアルガスは、ほんの数秒前から、その助太刀の存在に気づいていた。
「ディリータ! よくやった!」
「このぅ!」
 ハマの反撃を余裕を持ってかわしたディリータは、返す剣でさらなる一突きをハマの肩口に突き立てる。
 しかし、ハマはなおしぶとく、鉞を振り回す力もまったく衰えない。
「無駄なあがきはよせ!」
 形勢が逆転してからのアルガスの身の翻しぶりは、さすがといわざるをえないものがあった。
 手負いのハマに向かって、彼はさらにたたみかけるようにして言い放つ。
「残念ながら、おれはベオルブじゃない! ちょっとからかってやろうと思ってな……ムキになって周りが見えなくなるようじゃあ、お前もそこまでってことだ」
「おのれっ!」
「ははは、くやしいか? くやしいなら……」
 当然、こちらに向かってくると思われたハマは、突として、まったくあさっての方向へ駆けだした。
「なんだ!?」
 アルガスとディリータが、その意外な行動に気を取られている隙に、ハマは全力で新たな目標に食らいつかんとしていた。
 ほぼ反射的に、ディリータがその後に続いた。
「ラムザッ! 後ろだッ!」
 そこには、もう一人の剣士との死闘を繰り広げていたラムザの背があった。ディリータの必死の追撃も、わずかに及ばない。
「おおおおっ!!!」
 獣とも人ともつかぬ咆哮を上げた男の姿は、その手に持つ武器と渾然一体であるかのように見えた。
 ──が、すでにその歯牙にかかったかと思われたラムザの身体は、もうひとつの壁に遮られた。
 グシャっ、という金属と金属がぶつかり合う鈍い音が発せられ、二つの塊は、絡まり合って地面の上を転がった。
「ミルウーダあああああああ!!」
 ハマの最期の叫びは、はたして、その思うところの相手に届いたのであろうか。
 直後、彼の背には、一斉にとどめの剣が突き立てられていた。一度に三人もの騎士が、その一撃に加わっていたのである。
 内二人は、ゴルカスと共にいた北天騎士団の正騎士に違いなかった。そして、ゴルカス自身はというと──ラムザを守るため、その身を凶刃の前に曝け出した者こそ──他ならぬ、この熟練の騎士であった。

 


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