The Zodiac Brave Story
第一章 持たざる者

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28.三枚の羽


 ラムザ一行が"穴ぐら"を目指し、アザラーンを発ったのは、昼も過ぎた頃だった。
 色々と準備に手間取ったのもあるが、彼らの"案内人"の話では、その頃に発てば夜には目的地に着くだろうとのことであった。
 ドーターの一件で、図らずもウィーグラフの足取りをつかんだ彼らは、アラグアイ本隊の指令に構わず、独自に行動を起こしたのであった。
 軍規に違反することはラムザとて重々承知だが、他ならぬ北天騎士団総帥が「判断に任せる」といった言葉に、彼は従ったまでである。それに、安穏と上の指示を待っていては、ウィーグラフの追捕はおろか、エルムドア侯爵奪還のまたとない好機を逃すことになる──と、口上はどうあれ、若い騎士たちの胸それぞれに、ほのかな功名心があったことも確かである。
 "穴ぐら"までの彼らの"案内人"とは、何を隠そう、ドーターで捕虜となったムアンダのことである。
 ドーター市民の反攻に遭い、絶体絶命の危地に立たされた彼は、"穴ぐら"の情報と引き換えに、自身の保護をラムザたちに要求したのだった。そして、自ら"穴ぐら"までの案内役を買って出ることで、その約定を確固たるものにした。
 流石というべきか、長年裏社会を渡り歩いてきた男らしい、巧妙な身のこなしではある。
 すぐにウィーグラフの跡を追いたいラムザたちは、引き下がる他なく、市民の恨みの眼を背に受けながら、捕虜であるムアンダの身の安全を守るような形をとらされることとなった。
 両手を縄で括り、道々二人がかりで引いて行ったが、ムアンダの表情には、捕虜らしいみじめさも見られない。ドーターからアザラーンまでの道のりも、彼は粛々と足を運び、一応の恭順ぶりを示してはいたが、
「油断するなよ」
 と、ディリータは、護送係の注意喚起を怠らなかった。ムアンダはというと、そうやってピリピリしている若い騎士たちの顔を横目に見ながら、舐めきったように薄ら笑いまで浮かべていた。
 アザラーンの宿に入ってからも、ディリータはムアンダに寝ずの番を付けた。ムアンダは、若い騎士たちの過剰なまでの警戒ぶりを鼻で笑い、
「逃げるわけねえだろ。そうやって睨みつけられてたら、おちおち寝られもしねえ」
 などと言って、大いびきをかいていた。


 一行は今、アザラーンの"鳥屋"で借りたチョコボにそれぞれ跨り、荒涼とした砂の大地を駆けていた。
 道らしい道もなく、休める場所もない砂漠渡りは、チョコボの脚で行くのが定石である。軍資金の節約のため、これまでは徒歩(かち)で来たラムザたちだが、今は先を急ぐ旅でもあるし、ゼクラス砂漠からはチョコボを借りることにしたのである。
 ただ、ひとつ問題があるとすれば、捕虜のムアンダにもまた"脚"を与えねばならないということである。
「忌々しい奴だ」
 隊の先頭をラムザと並走するムアンダの背中を睨みつけながら、アルガスがぼやく。彼の隣りには、ディリータが並んで走っていた。
「もうしばらくの辛抱だ。いずれ本軍の部隊と合流したら、そっちに引き渡すつもりだ」
「しかしなぜ、あのような下郎を高貴なる"白雪"が背に乗せねばならんのだ」
「…………」
 見れば確かに、美しい白羽に南方系の巨漢を乗せた不釣り合いな姿が、そこにあった。
 こうなったいきさつはというと、アザラーンを発つ際に、ムアンダが「あの白羽に乗せろ」とごね始め、先を急ぐ今は言い争っている暇はないと、猛反発するアルガスをなだめて、ムアンダの要求をディリータが承諾したのである。
「下手に機嫌を損ねて、全く違う道を案内されても困るしな。なにせ油断ならない相手だ」
「なぜおれたちの方が捕虜のご機嫌を窺わなければならない?」
「それはたしかに不本意ではあるが……全てはウィーグラフを捕え、侯爵どのの御身を取り戻すためだ」
「ああ、分かっている。分かっているさ」
 アルガスは口惜しげに奥歯を噛みしめている。そんな彼の横顔を、ディリータは少し気の毒げな顔をして見ていた。
「それにしても、白雪はよくあんな男を素直に乗せたな」
「白雪は"淑女(レディー)"だ。たとえゴブリンを乗せたって、無礼な真似をしない限り、ふるい落とすようなことはしない。ただし、彼女が真に忠誠を誓っているのは侯爵さまお一人だけだ。すました顔をしているが、いつ何時裏切られてもおかしくない」
「なるほどな……」
 ディリータは感心して、疾駆する白雪の尾羽を眺めていた。
 アルガスの話によれば、白雪は前の大戦の際も、エルムドア侯爵に伴われ、戦地を駆け巡ったという。"銀髪鬼"の異名を馳せた侯爵をその背に戴いた姿は、さぞかし勇壮であったことだろう。
 そして彼女は、侯爵を乗せる際に、決まって"礼"をするのだという。誰に躾けられたのでもなく、自然と、そういう振る舞いをするのだという。
(賢いんだな)
 ディリータは、任務を円滑に進めるためとはいえ、ムアンダのわがままを聞き入れてしまったことを申し訳なく思った。
 今のアルガスにとって、白雪は、侯爵そのものに等しい存在といって良いのだろう。スウィージの森で保護した時から、献身的に白雪の世話をしているアルガスの姿を、ディリータはこれまでずっと見てきたのだ。
「すまなかったな」
 ディリータは前を向いたまま、小さく謝った。
「謝るべきは、おれにではなく白雪にだろう」
 アルガスは、いっそう眉間の皺を深めて、そっぽを向く。
「…………」
「…………」
 それきり、二人は言葉を交わさなかった。アルガスは、
(無礼な真似をしたらただでは済まさんぞ)
 と言わんばかりの敵意の眼を、ムアンダに注ぎ続けていた。


 道のりは順調であった。
 陽がまもなく沈むころ、獅子(レオ)の刻には、一行は岩石地帯に入っていた。
 ラムザは、ほどよい広さの袋小路を見つけ、そこで小休止をとることにした。慣れない道程であったためか、皆相当に疲れを見せ始めていたのだ。
「お坊ちゃん方はもうお疲れかよ」
 ムアンダが冷やかしを言っても、実際その通りでもあるし、皆返す言葉もない。
 ムアンダは砂地に胡座をかいて、やはり後ろ手に括られていた。徹底したディリータの用心ぶりだが、さすがにチョコボに乗る際は、手枷を外さざるをえず、実に、捕虜とは言い難い扱いではある。
「ここまではなんとか来れたが――」
 ラムザの隣に腰を下ろしながら、ディリータが言う。
「問題はここからか」
「このまま"順調"に行けば、夜明け前には目的地付近に着けるらしいけど」
 溜息をつきつつ、ラムザが答える。
「彼を信用するならね」
 ムアンダは今のところ、不気味なほど従順であった。
 敵地に向かうラムザたちに対し、ムアンダには、得意先に伺うくらいの余裕があるのだろう。それに目的地の"穴ぐら"は、彼にとって格好の"逃げ場"でもある。
「"穴ぐら"に近づけば近づくほど、奴が逃げるチャンスは広がるってわけだ」
「最初からそのつもりだろうね。だからかえって、正しい道を案内していると信用してもいいんじゃないかな」
「そうかもな」
「問題は、いつ逃げ出すつもりなのかということさ」
「僕らがきちんと見張っている限り、絶対に逃がしはしない」
 ディリータの眼差しは厳しい。
 思えば、捕虜護送任務も彼らにとっては二度目のこととなる。
 二ヶ月前、ガリランドで捕らえた骸旅団の捕虜をイグーロスまで護送した際は、捕虜一名に脱走を許し、やむなく殺害に至ったという経緯がある。その時の苦い失敗経験を、ラムザはもちろん、ディリータも忘れてはいない。
 今回の捕虜はムアンダ一名のみだが、前回とは比較にならないほど扱いの難しい相手である。しかも独断で捕虜にした以上は、彼を生かしたまま法の裁きにかける責任がある。
「そうだね。また同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。ドーターの人たちにも申し訳が立たない」
 ラムザが言った。それから何気なく、ムアンダの方に視線を移すと、彼は石に寄りかかりって大あくびをかいていた。そんな捕虜の様子を見て、ラムザはもう一度、安心と不安の入り混じった溜息をもらした。


 休憩に入ってから半刻あまり過ぎたころ。
「おいっ! 貴様っ!」
 不意に怒鳴り声がして、そちらを見ると、アルガスがムアンダの眼の前に立って、指を突きつけている。ムアンダの方は、何事かと、眼を丸くして、アルガスを見返している。
「その腰に挿しているものは何だ!」
 アルガスは、さらに声を大きくする。
「ん? 何のことだ?」
 対してムアンダの反応は、いたって鈍い。
「ふざけるなっ! それは白雪の羽だろう!」
「ああ、これ」
 両手を縛られているムアンダは、首だけ腰の方へ向けてから、薄ら笑いを浮かべて、アルガスの顔に向き直る。
「あんまり、上等だったもんでな。白羽は珍しいし、高く売れるのさ。なに、二つ三つむしったくらいで、そう目くじら立てなさんな」
「貴様っ……!」
 アルガスがムアンダの襟首に掴みかかったところで、駆けつけたディリータが慌ててアルガスの体を引き離そうとした。しかし、アルガスはなかなか手を外そうとしない。
「離せっ!!」
「おちつけっ! アルガス!」
 ようやく、アルガスは突き放すようにムアンダから手を離し、ついでに、彼のベルトに挿(はさ)まれていた三枚の純白の羽を素早く抜き取った。
「今度また舐めた真似しやがったら……」
 アルガスの顔面は、怒りのあまり蒼白になっている。
「命は無いと思え!」
 冗談とも思えないアルガスの剣幕である。が、ムアンダは歯牙にもかけない。
「もともといつ殺されてもおかしくねえ身の上だ。別におれは構わねえがよ、困るのはあんたらの方じゃねえのか?」
「なにを……!」
「この"砂漠の迷宮"は、一度踏み込んだら最後、戻るのも進むのも容易じゃねえ。おまえらなんざ、せいぜい歩き回って干からびるか、ベヒモスの餌になるのが関の山だろうよ」
「こいつ、言わせておけば……!」
「アルガス!」
 アルガスが振り上げた拳を、ディリータがすかさず掴んで引きとめる。
「おまえの気持はよく分かる。だが、相手はこれでも捕虜だ。相応の扱いをしなければならない」
「このような下郎を、高貴なる白雪に乗せてやるのが相応の扱いだと?」
「だからそのことは、すまなかったと言っている!」
 アルガスは乱暴に、ディリータの手を振りほどいた。諍いの様子を、隊の他の者たちは息を飲んで見守っていた。一人ムアンダだけは、薄ら笑いをうかべたまま、他人事のようにそのやりとりを見ていた。
「アルガス」
 ラムザが、アルガスの前に立つ。彼のまっすぐな視線を反らすように、アルガスは、ふてくされた横顔を向ける。
「ぼくの対応が甘かったのは謝る。ここからは、君が白雪に乗ってくれ」
「…………」
「不本意だけど、ムアンダの案内はどうしても必要だ。分かってくれるよね?」
「…………」
 ラムザはそれから、隊の者たちの方へ振り返り、
「休憩は終わりだ! 皆、出発の準備に取りかかってくれ」
 と指示を出し、ムアンダへは、
「分かったな?」
 とだけ言った。ムアンダは、「はいはい」と気のない返事をし、
「んじゃ、こいつをさっさと外してくれ。まさか、このままじゃチョコボには乗れないぜ」
 態度は、あくまで不遜であった。
 ディリータの目配せに応えて、ラムザがひとつ頷きを返すと、ディリータはムアンダの両手を束縛していた革の手錠を外しにかかった。隊の者たちも、各々に出発の準備に取りかかっていた。
 ――まさに、その時。

 グオオオオオオオオオン――

 咆哮が、地を震わせた。
「!!」
 咄嗟に、周囲を見回す。
 彼らが休息地とした袋小路は、高い岩壁に囲われていた。その上に、いつの間にか――視認できるだけでも三つの――巨大な黒い影があった。そして、それらは、一対の黄色い眼を持っていた。
「来たな」
 ムアンダが、不敵な笑みを浮かべる。
「みんな、下手に動くな!」
 ラムザが指示を発し、隊員は、それぞれに得物を構えた。
 影たちは呻き声をあげ、今にも飛びかからんとしている。袋小路の入り口に並べて繋がれていたチョコボたちは、落ち着きなく足踏みし、羽毛をそわだたせている。
 その中に一頭だけ、泰然と薄桃色の嘴を上向け、少しも恐れを見せていないものがある。――白雪だった。
 ムアンダの目は、先ほどからその白羽のチョコボの方へ向けられていた。それから、ちらと、今しがた自分の手枷を外したディリータの様子を窺った。
 これまで、ムアンダへの警戒心を一切緩めなかったディリータも、さすがにこの時ばかりは、一瞬、突然の襲撃者の方へ注意を反らしていた。しかし、すぐさま、彼は自分が最も警戒すべき事態を思い出していた。
「あっ――!」
 だが、わずかに、彼の機転は遅れをとってしまった。
 その時すでに、彼の許にムアンダの姿はなく、一瞬の隙をついて逃走を図ったムアンダは、一目散にチョコボの方へ駆けていた。
「くそっ!」
 ディリータは舌打ちして、ムアンダの後を追う。まもなく、ラムザとアルガスも、ムアンダの逃走に気づいた。
「ディリータ!」
 ラムザが叫び、
「野郎! 逃がすかっ!」
 アルガスがディリータに続く。
 猛獣たちが攻撃を開始したのは、まさにその時だった。地上に降り立ったその姿を見れば、どれも双角に豊かな鬣を持った、まごうことなきベヒモスである。
 襲ってきたのは三頭。そのうちの一頭が、ムアンダを追うディリータの前に立ち塞がった。ディリータはとっさに足を止めて、敵に相対する。
「くっ……!」
 こうなっては、下手に動けない。が、ベヒモスがディリータに引きつけられている間に、アルガスがムアンダを追っていた。


 ムアンダはすでに、白雪に跨り、一人危地を脱していた。
「おれはついているぞ」
 ほくそ笑まずにはいられないムアンダである。さすがの彼も、ベヒモスの襲撃は予測できなかったが、ここまで素直に捕虜に甘んじ、逃走の機を窺ってきた甲斐があったというものだ。しかもその機会は、彼の思っていたよりもずっと良い形でやってきた。
「若僧どもは気の毒だが、せいぜい抗って、生き残るんだな」
 あとはこのまま、ギュスタヴ一派が潜伏している"穴ぐら"を目指すだけである。こういう時のために、今までギュスタヴに貸しを作ってきたといっても過言ではない。自分一人の身を匿うくらいのことは、やってもらわねばならない。
 白雪の脚は、きわめて軽快であった。そのまましばらく走り続けていると、後方から、何やら喚き声が聞こえてきたので、ムアンダは舌打ちしつつも、肩越しに背後を見やった。
「追ってきやがったか」
 五十エータほど隔てて、追ってくる一騎の小さな姿がある。が、白雪の快速に及ぶべくもなく、二騎の差は一向に縮まらない。
 すると騎上の追手が、何やら奇妙な動きを見せた。
「!」
 反射的に、ムアンダは身を屈めていた。その直ぐ上を、ひょうとかすめ通っていったものがある。
「野郎、撃ちやがったな」
 続いて、びゅうと、二つ目がムアンダの真横をかすめる。
「調子に乗るなよ!」
 ムアンダは逃走の際に、弓使いの乗っていたチョコボに括りつけてあった予備の弓と矢筒を手に入れていた。彼の得意とするクロスボウとは勝手が違うものの、もとより"必中のムアンダ"を伊達に名乗っているわけではなく、弓を取らせても、彼の腕は一級品である。
 ムアンダは急に駒を巡らすと、一矢をつがえ、追手に向けてふり絞った。そのすぐそばを、追手の放った矢が三度、通り抜けていった。
 ムアンダは、ぎりぎりまで的を引きつけた。四度目の矢をつがえようとしている追手の顔をよく見ると、先だって、白雪の羽をむしったことでムアンダに噛みついてきた、アルガスとかいう名の若者である。
「なんだよ、大事なチョコボに矢が当たったらどうするんだ」
 呆れて、ムアンダがつぶやく。そこまで考えが及んでいるのかいないのか、アルガスは、ムアンダが応射しようとしているのに気付くと、あからさまに怯みをみせた。
「腕は悪くねえがよ……まだまだだぜっ!」
 必中の距離に的を捉えたムアンダの弓手から、一矢が勢い良く放たれる。アルガスは反撃もままならず、ほとんど無意識に、手綱を引っ張っていた。
 ムアンダの放った矢は、仰け反ったチョコボの喉首に立った。甲高い断末魔を上げて、チョコボはアルガスを乗せたまま崩れ落ちた。
「ちっ、運の良いやつめ」
 騎手に当たりこそしなかったが、追手の脚は完全に奪うことができた。無残に落馬したアルガスは、地面に這いつくばって苦しげに呻いている。
「待て……ちくしょうっ……!」
 アルガスの情けない姿を見て、ムアンダは高笑いを上げる。
「ははは、ざまあねえぜ! ──安心しな、こいつはおれが大事に使ってやる。それにほれ、この通り、おれによくなついているぜ」
「ばかな……白雪が……貴様になど……」
「お仲間のところへ戻った方がいいんじゃねえのか? もっとも、そのざまじゃ足手まといにしかならんだろうが」
「だまれっ……! 下郎っ……!」
「上等だぜ、まったく。そこでひっくりがえってりゃ、ベヒモスどもの餌にならずにすむかもな。まあ、もし生きてたら、隊長殿によろしく云っといてくれ。──あばよっ!」
 ムアンダはアルガスを後に残し、勢いよく白雪の横腹を蹴った。──しかし、彼女は一歩も前に進もうとしない。
「おい、どうした! 進めっ!」
 ムアンダがもう一度強く蹴っても、白雪は微動だにしない。これまでの従順ぶりが嘘のような頑なさである。
 が、やがて、何かに素早く反応し、彼女は頭を上空に向けた。
「いったい、どうしたってんだ──」
 つられてムアンダが上を見上げたのと、何か大きな影が、右手にある岩壁の上から降ってきたのは、ほぼ同時だった。
「!?」
 一頭のベヒモスが、ムアンダの目の前に降り立っていた。しかし、通常のベヒモスよりは一回り小さく、毛並みも全体的に黄味がかっている。
「なんだ、子供じゃねえか」
 ムアンダは少しも臆することなく、落ち着き払って一矢を弓につがえた。
 威嚇の構えをとっているベヒモスの双角の中間、頭蓋のど真ん中に狙いをつけて、ムアンダは弦を引き絞る。
「この距離なら、間違いはないぜ……!」
 限界まで弓をしならせ、矢を放たんとした──その時。
「!!」
 下から突き上げるような衝撃を受けて、ムアンダはもんどりうった。矢はあらぬ方向へ飛んでいき、そのまま彼の身体は地面に放り出された。
「ぐあっ!」
 鈍い音がして、ムアンダは呻き声をあげた。
 落下の際に、足をくじいてしまったらしい。痛む右足首を押えながら、彼はようやく、自分が白雪に振り落とされたのだと理解した。
「なんで──」
 呆然とするムアンダの脇を、白雪は何事もなかったかのように駆け抜けてゆく。その白い姿を追うように繰り出されたベヒモス──鳥喰い(チョコボ・イーター)の鋭い爪の一撃を、ムアンダはまともに食らった。
 弾き飛ばされたムアンダの身体は、堅い岩壁に叩きつけられ、そのまま地面に落下した。
 が、動かなくなった肉塊には目もくれず、鳥喰いは追撃を始める。その目標は、あくまで白雪であった。
「白雪っ!」
 アルガスは必死の思いで、疾駆する白雪の頸にすがりついた。すると、今度は拒否することなく、彼女はすんなりとアルガスに背中を許した。アルガスは抱きつくような格好で白雪にしがみつき、そのまま身を任せた。
 鳥喰いは、逃げる白雪を追おうとしたが、先ほどムアンダの矢に当たって斃されたチョコボの死骸を見つけると、それを屈強なあごで挟み込み、どこかへ走り去ってしまった。
 やがて白雪が立ち止まってから、アルガスは鳥喰いが追ってきていないと分かり、ほっと胸をなでおろしていた。そこへ、向こうから、アルガスを呼んでいるらしい声が聞こえてきた。
「アルガス! 無事か!」
 チョコボに乗って駆け寄ってきたラムザたちは、見たところ無傷のようであった。アルガスも派手に落馬はしたが、幸い怪我はなかった。
「無事だ。そっちは?」
「無事だよ。ベヒモスどもは《暗闇(ブライン)》状態にして、なんとか巻いてきた。でも時間稼ぎにしかならない。一刻も早くここから離れないと」
「そうか」
「ムアンダは?」
「死んだよ」
「……!」
 ラムザは一瞬言葉を失い、それからすぐに訊き返した。
「君が殺したのか?」
「ちがう。ベヒモスにやられた」
 アルガスはそういって、白雪の頸を撫でながら、
「白雪に、裏切られたんだ」
 と、小さく付け加えた。それを聞いたか聞かずか、ディリータが前に進み出て、
「ともかく、今は急ぐぞ」
 ラムザも頷き、
「詳しい話は後で聞こう。《暗闇》状態が解ければ、奴らはまた追ってくる。急ごう」
 彼を先頭とし、若い騎士たちは、案内人を欠いたまま、暮れなずむ砂漠の迷路を進み始めた。


 ようやく、ベヒモスを完全に巻いたと分かってから、ラムザたちはチョコボを並足に戻した。
 そこからの道々、ラムザはアルガスから、ムアンダ逃走の顛末について詳しい話を聞き出していた。
 アルガスは、ムアンダの受けた仕打ちに心底満足しているようであった。隊を率いるラムザとしては、同じ失敗を繰り返してしまったことは素直に反省しなければならないが、無用な負担が減ったことで、少し気が楽になったのも確かである。
 だが結果として、ラムザたちは、案内人としてのムアンダの利用価値を認めざるをえなくなった。
 幸い、再びベヒモスに遭遇することこそなかったが、実に三刻以上の間、一行はあてどなく岩石地帯をさまようはめになったのである。
 前に"砂漠の迷宮"などといったムアンダの表現は、あながち誇張でもなかった。
 狭い空から覗くわずかな星を手掛かりに方角を定めても、すぐに岩壁にぶち当たってしまい、方向転換を余儀なくされる。そんなことを繰り返しているうちに、辺りはどっぷりと夜の闇に呑まれてしまった。
 やっと見慣れない景色に出会ったのは、それからさらに二刻以上さまよった末のことである。
「ここは──オアシスか?」
 眼の前に、星空を映した鏡のような水面が広がっていた。その周囲には、植物が群生しているのも確認できる。何にせよ、この発見に一行は大いに励まされた。
 ラムザはここを夜営地に定め、念のために、ざっと周囲を調べさせた。
 調査開始後しばらくしてから、斥候のイアンが、気になるものを見つけたとラムザに報告してきた。
「え、チョコボの死骸があった?」
 不穏な報告に、ラムザは眉を曇らせる。
「はい。比較的新しいもので、捕食された痕跡がありました。あと、鞍が置かれていました」
「鞍?」
「ええ。つまり、野生のものではないということです。ついこの間、冒険者がここに立ち寄り、"鳥喰い(チョコボ・イーター)"に襲われた可能性があります。さっき襲ってきたベヒモスの中にも、一頭鳥喰い種が混じってました」
「あの黄色いやつだね。つまり、縄張りが近くにあるってことか」
「もしくは、ここも縄張りの内かもしれません」
「そうか……どう思う? ディリータ」
 ラムザが傍らのディリータに意見を求めると、彼は少し考えてから、
「こんな所まで冒険者が来たのか?」
 ディリータは、飼いチョコボの死骸があったという報告の方に、ひっかかりを覚えたらしい。たしかに、冒険者たちの拠点となっているアザラーンの街から、ここはあまりに離れすぎている。
「もし、そのチョコボに乗っていた者が、骸旅団の関係者だとしたら──」

 ──ドンッ!

 彼の言葉はしかし、突如生じた轟音に遮られた。
「なんだ!?」
 最初は、地鳴りのようにも聞こえた。が、すぐに、この場所からそう遠くない夜空が、ぱっと明るく照らされるのが見えた。それから、赤黒い煙が、禍々しい狼煙のように立ち昇っていくのが、誰の目にもはっきりと見てとれた。
「爆発……?」
 ラムザは呟き、唖然として、思いがけず夜空に現れた、その怪異を見つめていた。



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