The Zodiac Brave Story
第一章 持たざる者

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17.白雪・上


 イグーロスを発ってから五日あまり、ラムザ一行はスウィージの深い森に入っていた。
 スウィージの森は、ガリオンヌ領南部を東西に走るサドランダ街道の途中、魔法都市ガリランドからみれば東方に広がる大森林地帯である。
 整備された街道を通っていけば、貿易都市ドーターの港口までは一日とかからない距離。が、この度は少しばかり事情がちがっていた。
 街道が、森林を東西に分かつコロヌル川の渡しにぶち当たったところ。そこには本来、頑丈な石橋が架かっているはずであった。その石橋が、今は橋脚の石材だけを川面にのぞかせて、無惨に破壊されているのであった。
「修理中」
 の立看板がみえるが、工事が行われている様子もない。
「どうしてこうなった?」
 ラムザが、立看板の隣で暇をもて余している衛士に事情を聞けば、いわく、
「一月前のことさ。ガリランドで襲撃事件があったろう? ここを通るキャラバン隊を足止めするために、骸旅団の工作員が橋をぶち壊したのさ」
 思えば、ガリランド襲撃の際。北天騎士団の治安維持部隊を陽動するために、ギュスタヴ・マルゲリフ一派の工作員が、ここで破壊活動を行っていたのである。
 それなりの規模の橋であったが、風水士の術をもってすれば、頑強な石材もたちまち風化させることができる。
 このために、街道を利用するキャラバン隊や旅人は、川に沿って大きく北へ迂回するを余儀なくされていた。
「それにしても、まったく普請が進んでいないように見えるが?」
 ディリータが、わずかに残った橋端部を見ながら言った。一月もあれば、仮の吊り橋くらいは架けられそうなものである。それが、工事の跡はおろか、作業に当たる人夫の姿もみえない。
「命令が下っていない」
 と、衛士は説明する。
「普請を始めるには許可が要る。この橋の管轄はガリランドの都督府だが、普請の命令どころか、修繕の必要なしとのご沙汰だ。……なあ?」
 と、もう一人の仲間の方へ振り返る。こちらは、切り株に腰掛けて、ひとつ大あくびを呑んだところであった。
「ああ。俺たちはこの近くのコロヌルって村の自警団の者だが、北天騎士団から、ここで旅人の案内役をするよう仰せつかっているのさ。川を渡るんだったら、少し街道を戻った所にある枝道から北へ十クェータあまり行くと、やがて小さい吊り橋に出るから、そこを渡ってくれ。あと、魔物が出るから気をつけな」
 そう言いながら、彼らが率先して道案内をする様子はない。二人の衛士の役割は、あくまで通行人に迂回路を教えるだけのことらしい。
 ラムザは、ディリータに目配せして、肩をすくめた。
 速い流れを泳いで渡るわけにもいかず、言われたとおり、一行は川岸から街道をニクェータほど戻った。そこから、整備された街道からすると、ほとんど獣道のような枝道に入った。
「どういうわけだ」
 道を遮る柴草を剣で打ち払いながら、アルガスが愚痴をいう。
「侯爵どのにお供してガリランドへ向かっていた時も、あの橋で足止めを食らったんだ。あれからだいぶ経つのに、まだ修理していないなんて」
 ランベリー領主メスドラーマ・エルムドア侯爵を乗せた馬車が骸旅団の兇徒に襲われ、侯爵自身、誘拐の憂き目に遭ったのは、まさにこの森の中でのことであった。
 その忌まわしい事件の当事者であるアルガスにとって、このスウィージの森は嫌な思い出の場所にはちがいなかった。
「それで周り道を強いられて……街道をそのまま行っていたら、賊に襲われることもなかったはずだ」
 こういう時には、どうしようもない運命すら呪ってしまうのが、人間の性というものらしい。アルガスは、腹の底に溜まった鬱憤を吐き散らすように、通行の邪魔になっていない枝木までも、片っ端からぶった切っていた。
「おい、刃を痛めるぞ」
 ディリータにそう言われてから、アルガスはやり場のない憤りを噛みしめるようにして、やっと剣を収めた。ディリータは、やれやれといった具合に、肩を落とす。
 この日も、アルガスとディリータは隊の殿(しんがり)を歩いていた。二人がこの位置を任されたというよりは、ガリランドの士官学校仲間と微妙に距離を置くようにして歩いているアルガスが、隊から孤立してしまわぬよう、自然とディリータが付き添っている格好なのである。さらには、功を焦って、アルガスが先走った行動をとらぬとも限らないので、目を付けておこうというディリータの心づもりもあった。
 それからしばらくの間、二人は黙って歩いていたが、やがてディリータが口を開いた。
「おそらく橋を架け直さないのは、交通をなるべく不便にして、骸旅団の残党が領外に逃げにくくするためだろう」
 アルガスはその推論を鼻で笑って、
「単に普請の金がないだけじゃないのか?」
 にべもない物言いに、ディリータは眉を吊り上げた。
「まあ、それもあるかもな」
「だいたい、ちゃんとした道があったって、蛇の道を行くような連中だろう」
「まったくだ」
「が、どこへ逃げようと関係ない。一人残らず炙り出して、主君を辱めた罰を与えるだけだ」
 そういって、アルガスは強く剣の柄を握りしめている。その所作を見ながら、
 ──面白い奴。
 と、ディリータは思うのだった。
 功だの何だのと言っておきながら、アルガスという男は、結局のところ純粋に、主君への忠誠心で動いているように見えた。少々感情的になりすぎるきらいはあるものの、それも、強い忠誠心の裏返しと見えなくもない。
(僕は、どうだろうか)
 省みて、ディリータは自身の胸に問う。
 己の主君とすべき人間は誰か。我が命を賭してまで、守るべき主君とは。
 それは、ラムザ・ベオルブにはちがいなかった。二人は義によって結ばれた兄弟であるが、同時に主従でもあった。
「あれの傍(そば)にあって、支えてやってくれ」
 亡きバルバネスにも、託された役目である。その役目を今日まで、忠実に果たしてきたという自負が、ディリータにはあった。ラムザが窮地に陥った際は、それこそアルガスのように、なりふり構わぬであろう自分の姿を容易に想像することができた。
 一方で、ディリータ・ハイラルという人間には、もうひとつ大切なものがあった。
 他でもない、それは妹のティータであった。
 ラムザとは、義で繋がってはいても、血の繋がりはない。この世で、血を分けた肉親は、ティータを措いて他にないのだ。血の繋がりというものは、人間としての役割以上に、特別なものである。早くに親を亡くしたディリータには、なおのことその思いが強い。
 その意思を胸に確かめたところで、彼は懐のうちに、また、物質的な重みを感じてもいた。
(ティータ……)
 それは五日前、イグーロスを発つ日の朝。
 騎士としての初陣に臨む兄の袂に、ティータは、使い込まれて表面のてかった、牛革の鞘に収められた一振の短剣を寄せていたのである。
「これは……!」
 長さにして握りこぶし三つ分ほどの刀身を両の掌に載せて、ディリータは、驚きと、さらに幾ばくかの懐かしさを込めた目で、この古い短剣を見つめていた。
「そう。私たちの、お父さんのものよ」
 私たちの、お父さん――
 ハイラル兄妹が父と仰ぐ人間は、二人ある。
 一人は、身寄りのない幼い兄妹を引き取り、実の子らのように育ててくれた、今は亡き養父バルバネス・ベオルブ。
 いま一人は、言わずもがな、先の大戦時、平民の義勇兵として骸騎士団に参加し、バルバネスの旗下にその命を散らした実父オルネス・ハイラル。
 そしてこの短剣は、実父オルネスのものであった。
 ティータが、「私たちの」といったのは、まさにその通りの意味であった。オルネスは、ハイラル兄妹だけの父親であり、ラムザや、アルマの父親ではない。
 ティータに託された短剣は、ガリオンヌ北部の片田舎にある牛小屋よりも小さな生家とともに、父オルネスが我が子らに遺した物であった。
 この短剣の存在だけは、ラムザもアルマも知らぬはず。ティータとディリータとのあいだに、密かに共有されていたものである。
 べつに隠していた、というわけではない。ディリータは父の残した、この唯一の面影をなかなかに使い難く、なるべく人の目に触れぬよう、長い間仕舞っておいたに過ぎない。最近では思い出すことも少なくなっていたが、久々にこれを手にとってみると、さまざまな思い出やら感慨やらが、彼の中に湧きあがってくるのであった。
 ティータはまだほんの赤子であったから、実父の顔や人となりなどは、ほとんど記憶にあるまい。かくいうディリータも、それほど数多くの思い出があるわけでもなかった。
 ただ、おぼろげながらも、その大きな背中(せな)と、朴訥とした人柄は、父オルネスを形作る像(イメージ)として、今でも、たしかにディリータの脳内に張り付いている。
 もう一人の父であるバルバネス・ベオルブの、超人的な武勇と、圧倒的なまでの存在感などとは比ぶべくもないが、一人の人間としては、オルネスは、はるかに自分に近い存在であると、ディリータには思えるのだった。
「見習いではなくて、騎士としての、初めてのお仕事でしょう?」
 ティータは言った。騎士として、などというのはあくまで名目上のことにすぎないのだが、それでも、愛する 妹の口から"騎士"と言われては、兄たる身として悪い気は起こらない。
「だから、お父さんに、護ってもらって」
 ディリータは迷わず、父の形見を帯びてゆくことにした。
「必ず、帰ってくるよ」
 ディリータは妹の肩を抱き寄せて、そう誓ったのだった。
 初陣といっても、偵察任務や後方支援が主であるから、はたから見れば大げさな選別に見えるかもしれない。それでも、まだ若いディリータにとっては、一代の大仕事には違いなかった。また、
(あわよくば……)
 とも、今のディリータは思っていた。
 ──手柄が欲しいとは思わないのか?
 アルガスの言葉に、触発されたところも少なからずある。たとえそれが、ディリータ自身のものとならずも、ラムザの名を上げるような勲功を立てることができれば、それは大いに後生の頼みとなることだろう。
 立身出世などという考えは、まだ頭にないディリータではあるが、
 ──僕はどこまでやれるのか?
 自身の可能性を、この機に試してみたいという気持ちも、あるにはある。
 そんな思考に耽っているところへ、
「もし、仮にだぞ」
 アルガスが、急に真剣な顔をして言う。
「何がだ?」
 またこいつは、何を言い出すのかという期待半分に、ディリータは訊き返した。
「もし仮に、ウィーグラフの消息を掴んだら、どうすべきだと思う?」
「どうすべきって……」
 なるほど、やはりアルガスという男は、偵察や後方支援だけで、安易に今回の任務を終えてしまうつもりはないらしい。
 ディリータは、まさに自分と同じようなことを考えていたアルガスに親近感のようなものを覚えつつ、また同時に、つまらない冗談を言われたみたいに口元を歪めながら、
「とっつかまえて、主君を辱めた罰を与えるんじゃないのか?」
 と、ついさっきアルガス自身が言った詞をそのまま借りて、皮肉めいた物言いを返した。
「真面目な話だ」
 アルガスは、あからさまに気を悪くしたような眉を寄せた。
「そんな簡単に扱える相手ではないだろう」
「なんだ、分かっているじゃないか」
「しかし、報告するというだけではな……」
「下手に探りを入れたりして、警戒されたらどうするんだ。それどころか、反撃されて皆殺しにされるかもな」
「そんなに強いのか? ウィーグラフという男は」
「とるに足らない人物なら、聖騎士ザルバッグ・ベオルブが北天騎士団を総動員したりはしないさ」
「う、うむ」
「だいたい、お前は知っているのか? ウィーグラフの人相を」
「知るわけがないだろう。ラムザか、お前は、どうなんだ」
「僕は……」
 当然、「知らぬ」と言うべきところを、何かつっかかりを覚えて、ディリータはその言葉を呑みこんだ。
(……?)
 ──実に、奇妙な感覚であった。
 知るはずのないものを、知っているという感覚。骸旅団の首領ウィーグラフ・フォルズと、その悪名は天下に轟いているといえど、一見習い騎士にすぎぬ自分やラムザなどに、そんな大物との接点があろうはずもない。
「どうなんだ?」
 ディリータがはっきり言わないので、アルガスが問い直すと、
「いや、知らん。たぶんラムザも」
 と、ディリータは一応答えた。が、彼の心に引っかかった何かは、容易に取れなかった。
「なんだ、誰も知らないんじゃねえか」
 アルガスは、さもつまらんとばかりに粗野な言葉を吐いた。ディリータは上の空で、この奇妙な感覚の正体を突きとめようとしていた。
(どこかで人相書を見たのか……?)
 ──いや、違う。
 自分はたしかに、ウィーグラフに会っている。まさか、夢に見たというわけでもあるまい。それは砂粒のような記憶にすぎないが、おそらく、幼い頃の記憶だろう。
(いつ? どこで?)
 ウィーグラフという男の、目と、眉を見、そして彼は自ら名乗った。が、その時と場所とを、ディリータはどうしても具体的に思い出すことができなかった。では、顔だけは鮮明に覚えているのかといわれると、そうではなかった。おそらく、実物と突き合わせれば、そうと判るかもしれない、という程度の記憶である。
(なぜだ? どうして思い出せない?)
 ひとつ、思い当たることがある。
 彼の記憶に靄をかけているのは、ウィーグラフに会ったその時、どうも彼は、全く別な事象に気を取られていたらしいということである。
 ウィーグラフという男の素性などは、その事象の前では些細な情報にすぎなかった。それは、何だ。
 無心に、胸元に手を宛がったところで、
 ──あ、
 ディリータは一条の光を見た気がした。宛がわれたその手は、皮の胸当ての向こう側に、父の形見の短剣を感じ取っていた。
 確信が、はっきりとした形となる前に、騒々しい物音が彼の思考を遮った。
「なんだ!?」
 それは何か、鳥獣の喚き声のように聴こえた。一同は、その場に踏み留まり、周囲に警戒を走らせた。先頭のラムザがすかさず手を挙げると、事前に示し合わせたとおりに、全員がそれぞれの得物を手にした。
 物音は前方からする。思えば先刻、壊れた橋を守っていた衛士から、「魔物がでるから気をつけな」などという、甚だ無責任な忠告を頂いていたのではあった。
 ラムザが前方を指差すと、一行はやや腰を下げるようにして、ゆっくりと前進を開始する。
 街道の枝道のはずが、すでに道らしい道は姿を消していた。きちんと舗装されていないのはもちろんのこと、背の高い柴草やら木の枝やらが行く手を阻み、人が踏みならした跡らしい、かろうじて道と判る地べたも、太い木の根っこがあちこち顔を出しており、足元に注意を向けていないと、うっかり躓いてしまいそうなものである。
 道はやがて、木立のまばらな原っぱに入っていく。その少し手前で、ラムザは茂みの陰に身を屈めて、原っぱの様子を窺っている。他の者たちもラムザに倣い、野草の合間から目を覗かせる。
 彼らのすぐ目の前を、大きな生き物の影が横切っていった。巨大な趾(あしゆび)を持ち、白っぽい羽毛に覆われた姿をみれば、すぐにチョコボとわかる。独特の甲高い鳴声をさかんに発していたのは、どうもこのチョコボらしかった。
 チョコボがこういう声を発するのは、身の危険を感じ取った時である。すなわち、周囲の木立から、この白羽チョコボを追ってきたものらしい数匹の小鬼(ゴブリン)どもが、次々と姿を現した。
 体長にして、人間の子どもくらいしかない小鬼どもは、それぞれが、小弓だの槍だの石斧だの、一丁前に武装している。群れのリーダーらしき者は、どこで拾ってきたものか、身の丈に合わぬ人間用の胸当てなど付けて、腰には小ぶりな角笛を提げ、額には、動物の頭蓋骨のようなものを被っている。
 小鬼の頭領は、言語と聴こえなくもない喚き声を発して、子分に指示を出しているらしく、子分どもは、それなりに統制の取れた動きをみせて、あっという間に白羽を囲んでしまった。
 そこへ、ディリータがラムザの隣に寄ってきて、
「どうやら小鬼の縄張りに踏み込んでしまったらしいな」
「そのようだ。それに、あのチョコボ……」
「うむ、野生ではなさそうだな」
 見れば、小鬼に囲まれている白羽チョコボの背には、なかなか立派なものと見える鞍が置かれている。人間の足代わりとして、すっかり定着しているチョコボとはいえ、野生のものまで背に鞍を置いているなどという道理はない。おそらくは、ごく最近まで誰かに飼われていたのが、主人の手を離れ、森に迷いこんでしまったものらしい。
「どうする? ラムザ」
「助けよう」
「助けてどうするんだ」
「荷物運びにでも、なってもらうさ」
 友の横顔を見るに、反論を挟む余地はなさそうだ。ラムザはすでに、弓使いのイザーク、カマール、イアンに指示を出している。
「あっ、あのチョコボ!」
 と、アルガスが、ラムザとディリータの肩越しに顔を突き出した。
「どうした? アルガス」
 ラムザが訊くと、
「まちがいない。あの白羽、侯爵さまの、"白雪"だ!」


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