The Zodiac Brave Story
第一章 持たざる者

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10.隠れ家


 レウスの東の麓、アズバール伯統治下の城下町・ハドム──
 全人口にして五千人ほどと、王室領ルザリア内では、それなりに大きな街である。
 そのはずれにある酒場"角笛館"は、旅籠屋も兼ねており、上質な麦酒も出るというので、旅人や、その日暮らしの傭兵たちの溜まり場となっていた。
 その人いきれとパイプ草の煙に曇った薄暗い店内の隅で、怪しげな風体の男が二人、小さい丸机を挟んで座っていた。
「兄者」
 と、若いほうの男がいう。その見た目も、落ち窪んだ眼窩と、灰色のねっとりした髪のせいで、年齢よりもだいぶ老けて見える。
「…………」
 兄者と言われたほうは、むっつり黙って、麦酒の入ったマグを傾けて、茶色い口髭を濡らしている。
「兄者、聞いてますかい?」
「ん? ああ、聞いてるとも」
「こっちは、大事な話をしてるんです」
「…………」
「ちと、今日は飲みすぎじゃありませんかね」
「そうでもないさ。これっぽちで……」
 ひとつ、汚い音を鳴らすと、空になったマグを脇に置く。
「んで、何の話だっけか」
「はあ」
 若いほうが、大げさに、深いため息をつく。
「先ほどから、何度も申し上げとりますがね」
「ん」
「聞いておりますかい?」
「聞いとるがな」
 どうにも、酒のほうに呑まれているらしい兄者の耳に近づくようにして、若いほうはひじをつくと、ぐいと前に身を乗り出す。
「それで、ひげの親父どのは何をしておるのかと、このごろ若い衆が騒ぐのですよ」
「そうだってな」
「だから、何をお考えなんです」
「何をとは」
「兄者は、今は機を待てという。ウィーグラフどのが立たれるのを」
「そうだ」
「しかし、その機というのは、レアノールでの敗北以来この二月あまり、待てど暮らせどやってこない」
「…………」
「いつまで、死人の旗揚げを待たねばならんのかと、みな業を煮やしているんですよ」
「死んだかどうかは、まだ分からんだろうが」
「そう言われますがね、たとえどこかで生きていたとしても、彼にはもう、かつての熱意も志も無くなっちまったのではと、皆が口をそろえていうのですよ」
「ううむ?」
「なにせ、あの大敗北のあとです。流石のウィーグラフどのも、ぽっきり折れちまったのだろうと、そう思われても不思議ではありませんぜ」
「…………」
「兄者が、騎士団にいた時分から、ウィーグラフどののことを慕っておられたのは、よく分かっとります。ですがね、どんなに立派な人物でも、死んでしまってはおしめえなんですよ」
「だから、死んだとは……」
「諦めちまったのなら、そいつは死んだも同然です」
「む……」
「いつまでも、そんな幻を追っていないで、目を覚ましてほしいと、皆そう言ってんのです」
 若いほうは腹立ち紛れに、椅子に寄りかかると、マグの麦酒を一息に飲み干した。
「目なら覚めとるがな」
「そうですかい?」
「…………」
「何か遠大な計画でも、あるといわれるなら、お話をうかがいますがね」
「…………」
「あの隠れ家に籠りっきりでは、なにひとつ、始まりもしませんぜ」
「それくらい、分かっとるさ」
「…………」
 兄者のほうは、手招きして店主をこちらに呼び寄せると、さらに大きなマグを二つ、持ってこさせた。
「今は、まあ飲まんかい」
 といって、そのひとつを、若いほうに差し出す。
「…………」
 若いほうは何も言わず、勧められるままに、マグを受け取る。が、それを抱えたきり、口にしようともしない。
「ところで兄者は、エルムドア候誘拐の話を聞かれましたかい?」
 ごくごくと、豪快に咽を鳴らしている兄者を暗い目でみながら、若いほうがいう。兄者のほうは、マグを下ろすと、袖で口をぬぐって、
「なんだって?」
 と、その太い眉を寄せて、伏し目がちな弟分の顔を見やる。
「ランベリーのエルムドア侯爵が何者かに攫われたって、三日ほど前から、その話題でもちきりでさあ」
「…………」
「知ってましたかい?」
「いや、初耳だ」
「今、北天騎士団が血眼になって下手人の捜索中だって」
「うむ、それが?」
「で、その下手人というのが……」
 ここで、若いほうは一段と声を低くすると、周囲を見やりながら、
「どうも、ギュスタヴと、その一派らしいんで」
「…………」
 兄者のほうは、さっきまでになかった真剣な面持ちをみせて、
「確かなのか?」
 と、訊き返していた。
「ええ。他にも、ガリランドの都督の身柄を狙って都督府を襲ったとか、何かと物騒な話を聞きましたがね。どれもギュスタヴが一枚噛んでいたようなんです」
「ふうむ」
「で、兄者はどう思われます?」
「何が?」
「ギュスタヴのことですよ」
「いや、貴人誘拐とは……大きく出たな」
「まったくです。大した人数もおらんでしょうに。よくもまあ、そんな大それたことをやってのけたもんです。さすがは、"狼"のギュスタヴというべきか」
「つまりお前さんは、ギュスタヴの一派に加わりたいと」
「そのとおりです! どこかにいっちまったきり音沙汰なしのウィーグラフとちがって、ギュスタヴは行動を起しているんです! そして、現にうまくいっている」
「そりゃ、そうだがよ」
「てまえらも、ギュスタヴに協力すべきです! 人数が増えれば、もっとでかいことだってできる」
「しかし……人攫いなどは、ウィーグラフどのが認めんだろうな」
「他になにがでっきるってんです? ギュスタヴのやり方は理にかなっている。違いますかい?」
「…………」
 ──カランコロン
 店の扉に掛っていたベルが、来客を知らせたのだった。兄者は、何とはなしに、今しがた店に入ってきた客のほうを見やって、次の瞬間、あっと目を丸くしていた。
「……?」
 弟分のほうは、兄者の様子が変わったのに気づいて、
「どうしたんで?」
 と、眉をひそめていた。
「今来た客」
「へい?」
「あそこに立ってる……見てみろ」
 兄者が指すほうを、弟分も肩越しに見やると、入り口付近に、外套を纏った旅人らしい姿がひとつと、その連れとみえる、黒魔道士の尖がり帽が目に入った。
「女……ですかい?」
 他の客からも注がれる視線の合間を縫うようにして、カウンターへと向かう二人の姿を目で追いながら、弟分が囁く。
「見覚えないか?」
「ええと……」
「ありゃ、ミルウーダだよ」
「えっ!」
 と、兄者のほうを振りかえる。
「ミルウーダってえと……ウィーグラフの妹の」
「そう」
「レアノールで死んだとばっかり」
「いや、俺の目に狂いはねえ」
「しかし、どうしてまたこんな所へ」
「事情は知らんが……おそらく、ガリオンヌから落ち延びてきたのだろう」
「…………」
 二人は、それきり無言でカウンターのほうを見ていたが、ひしめく客の陰にミルウーダの姿は隠れていた。
「…………」
 兄者が、何を思ったか、ふいにのっそり立ち上がったので、弟分が、どうしたのかと質すと、
「外で待つ」
 とだけ言い置いて、兄者のほうは店を出ていってしまった。


 酒場は、獣の群れのように、どやどやと、息苦しい熱気に包まれている。そこへ急に現れたミルウーダとエマの姿は、岩の上に花でも咲いたみたいに、周囲の目を惹きつけていた。
「あんたら、旅の人かい?」
 カウンター越しに立ったミルウーダに、店の主が訊いていた。
「部屋をひとつ借りたい」
 ミルウーダは聞かぬふりをして、要件だけを述べた。店主は目を細めて、
「一泊十ギル」
 と、いったとおりの額を、ミルウーダは無言で手渡す。
「こういっちゃナンだが……」
 店主は受け取った硬貨を数えながら、
「女の二人旅ってのは……感心しねえな」
「どうして?」
「どうしてって……」
 金を懐に納めて、カウンターに身を乗り出す。
「奴らの目を見てみろ」
「…………」
 店主は客席のほうを顎でしゃくったが、ミルウーダは振り向くまでもなく、店に入った時からその汚らしい視線を体じゅうに覚えていた。
「奴らは飢えた獣だ。……用心棒はつけられねえぜ?」
「その必要はない」
 ミルウーダが、腰のモノをカチャリと鳴らしたのを目端にとらえて、店主は眉を吊り上げた。
「ほう、心得はあるようだな」
「部屋は?」
「別棟だ。店を出て裏手に回ったところにある」
「ありがとう」
 礼だけいってニコリともせず、ミルウーダはカウンターを離れた。
 店に充満した客は、女二人だけの姿を見ながら、にやけ顔をうかべたり、額を寄せてひそめき合ったりしている。
「目を合わせるな」
 傍のエマだけに聞こえるように、ミルウーダがいった。エマはすっかり怯えた様子で、ミルウーダの後を黙ってついてゆく。
 酔った客が、卑猥な言葉を投げかけるのを無視しつつ、ミルウーダとエマは、店の入り口を指して、ひた歩く。
 ──ッ!
「ギャッ!!」
 刹那、何か物凄い音がして、何事かと、音のしたほうを見れば、店の真ん中で客の男がひとり、仰向けにひっくり返っていた。
 男の手首はミルウーダに捻り上げられて、危うい方向へひん曲がっている。苦痛に歪む男の顔を、ミルウーダの鋭い軽蔑の眼が見下ろしている。
「は、放して……」
 男が、情けない声を洩らすと、ミルウーダはその手を、乱暴にはたき落とした。
「うう……」
 男は自分の手首を庇いつつ、その場にうずくまっている。その姿を尚も見下しながら、ミルウーダは、怒りに息を荒げていた。
「その……汚い手を……私に……触れてみろ……」
 ミルウーダの吐き出す言葉のひとつひとつが、刃の鋭さをもって、男に降りかかる。
「次は……その腕を……切り落としてくれる」
 彼女の全身から湧き立つものは、もはや殺気に近い。
「ひっ!」
 と、その棘に触れたように、男が小さい悲鳴をあげる。
 ミルウーダはエマの手を牽くと、踵を返して、店から出ていった。
 店内は水を打ったように静まりかえって、後には、男のすすり泣く声と、扉のベルだけが、空しく響いていた。


「ちょち、そこをゆくお嬢さんがた」
「……!」
 店を出た途端、そう呼びかけられて、ミルウーダは反射的に、剣の柄に手を掛けていた。
「お……おい、そんな物騒なもんはしまっとくれ」
 見れば、口髭を生やした五十がらみの男と、それよりはいくらか若く見える、人相の振わない、長髪の男の二人組がある。両の手を晒して、丸腰であることを強調してはいるが、警戒の眼差しを、ミルウーダは緩めようとはしない。
「あんた、ミルウーダだろう?」
「……!」
 ミルウーダは、見知らぬ人間に自分の名前を呼ばれて、さらにその態勢を低くした。口髭の男が、そんなミルウーダを宥めでもするように、ひきつった笑みまで浮かべて、
「まあ、まずはお互い、信頼しようじゃないか」
 そういって、おもむろに近づいてくる。
「何者だ」
 という、ミルウーダの問いには答えず、男は、二の腕に巻いた麻布をするすると解き始めた。
「ほれ」
 男は、周囲の眼を気にしながら、太い二の腕を、ミルウーダに見えるように、ぐいと近づけた。
 ──刺青がある。角付きの兜を被った、髑髏の紋章。その下に、交差した二振りの剣。
「最近は、堂々とこれを晒して歩けんようになったからな」
「同志の者か?」
「いかにも」
 男は、すぐに腕を引っ込めると、麻布をもとのように、晒しに巻きつけてしまった。
「おれはハマ。んで、こっちがルーファスだ」
 紹介されて、若いほうの男が軽く頭を下げる。ミルウーダは、ようやく警戒の糸をほぐして、話を聞こうという態を見せた。
「で、貴女はウィーグラフどのの妹、ミルウーダ嬢とお見受けしてよろしいですな?」
「…………」
 ミルウーダは、無言で頷く。ハマと名乗った男は、その返答に、とりあえずは満足したものとみえ、
「いちおう、兄君とは知己の間柄にあったつもりだが……まあ、妹のあんたが知らんでも無理はない」
 こんどはエマのほうを向いて、
「そっちのお嬢さんは?」
 と訊くので、エマは人見知りするようにミルウーダの背に隠れたまま、
「エマ」
 と、小さく答えた。
「エマくんね。君も同志の一人かね?」
「そうです」
「ほう、若いのに大したもんだ」
 感心したように鼻を鳴らす。
「とにかく、こんなところでおしゃべりするつもりはないんでな」
 いいながら、懐から羊皮紙の切れ端のようなものを取り出して、
「こいつを」
 と、ミルウーダにそれを手渡した。見れば、簡単な地図と、その下に、汚い字で何か走り書きされている。
「そいつには、おれらの隠れ家の場所と、合言葉が書いてある。もし、協力してくれるというなら、明日の朝一番、そこに書いてある街外れの小屋まで来てくれ。その小屋にいる爺さんに合言葉を言えば、隠れ家に通してくれるはずだ。爺さんには、こっちからも話しておくが……このごろ、どうも忘れっぽくてな。いちおう合言葉を忘れんでくれ」
 言うだけ言って、ハマはルーファスと連れたって、夜の街へ消えていった。
「どうします?」
 先ほどハマに渡された紙切れと、にらめっこしているミルウーダの横顔を見て、エマが言った。
「今は、とにかく味方が欲しい。それに、兄のことも何か知っているかもしれない。行く価値はあると思う」
 紙切れをポーチにしまってから、ミルウーダはそう答えた。
「さて……宿に向かおうか。地べた以外の場所で眠れるのは久しぶりだ」


 翌朝は、まだ明けきらぬうちに、二人は連れ立って、昨日渡された羊皮紙の切れ端を頼りに、ハドムの街区を抜け、うっそうとした森が覆う山の裾づたいを歩いていた。
「この辺りのはずだが──」
 視線を上げた先に、ゆらゆらと、白い煙がたなびいている。間も無く、やや開けた場所に古ぼけた樵小屋を二人は見出していた。細い炊煙は、その屋根の煙突から吐き出されている。
 小屋の入り口に立って、ミルウーダが、コツコツと戸を叩いて訪いを告げたが、返事はない。もう一度、今度はさっきよりも強く叩いたが、相変わらず、誰かが出てくるような気配もない。
「留守、みたいですね」
 エマが、ミルウーダの横顔を見上げていった。
「煙は出ているが?」
「あ、たしかに変ですね。合言葉を言ってみるとか?」
「それなら、むこうから言ってくるのが道理だろう」
「ですよね……」
「山羊の好物は何だったかの」
「……?」
 不意に背後から、しわがれた声がして、二人は同時に振り返っていた。そして、その声の主を確かめるのに、二人はやや視線を下げる必要があった。
 そこには、やけに小柄な爺が一人、自分の背丈くらいの斧を支えに、ぽつんと立っていた。小さい目は白いふさふさとした眉にほとんど隠され、顎には、すすけた鼠色の長い髭をたくわえている。
 ミルウーダとエマの二人は、呆けたようにその爺の姿を見つめていたが、
「聞こえんかったかの。もいちど言うぞ、山羊の好物はなんだったかの?」
 と、爺がいうのを、二人はわけも分からず答えに窮していたが、やがてエマが、「あっ」といって、
「合言葉ですよ!」
 ミルウーダに囁くと、
「ああ、そうか」
 ミルウーダは、思い出したように、手に持っていた羊皮紙の切れ端を横目にちらと見て、
「ええと……豆のスープに、羊のミルク?」
 確かめるように言うと、
「いかにも」
 爺は満足げにうなずいて、
「ついて来なさい」
 といって誘うので、二人はひょこひょこ歩く樵の爺の後を、黙ってついて行った。
 小屋をぐるりと巡って裏手に出ると、爺は手に持っていた斧を小屋の壁に立てかけて、
「こっちよ」
 と、小屋の背後に迫る森の暗がりを指して言った。よくよく見れば、確かに細い獣道が一本、森の奥へ伸びている。
 爺は、見てくれの歳からは想像できない軽快な足取りで、ずんずん先を歩いていく。途中から道は途絶え、ほとんど胸の高さにまで達する下草を掻き分けるようにして──すっかり下草に隠されてしまっている爺の姿を見失わぬように──二人は、必死になって歩いた。
 そんな調子でしばらく歩き続け、やっと、目の前に岩壁が立ちはだかったところで、爺は足を止めた。
「まさか、ここを登るとかいうんじゃないでしょうね」
 エマが、息を切らしながら、そそり立つ岩壁を見上げた。爺は、何も言わずに岩壁に絡まる蔓草を掴んで、それをつたって岩壁をよじ登るのか──と思えば、そんなことはなく、蔓草を払いのけるようにして、
「ここが、"隠れ家"の入り口だよ」
 と言うので、見れば、いつのまにか、むき出しの岩肌に頑丈な木の扉が出現していた。同時に、ミルウーダの傍らで、エマが安堵の息を洩らすのが聞こえた。
「どうもありがとう」
 ミルウーダが爺に向かって礼をいうと、爺は聞いているのかいないのか、むにゃむにゃと何やら呟きながら、もと来た森の方へ消えていった。
「…………」
「いったい何者でしょう」
「さあ……しかし話しかけられるまで、正直、まったく気配に気づけなかった」
「ただ者ではなさそうですね」
「ああ。それじゃあ、行こうか」
 ミルウーダが両の手で押すと、思いのほか容易に、両開きの扉は開いた。そこから先は、石の階段が、ひたすら地下へともぐっている。
 トンネル自体は人工のものらしく、等間隔に木の支柱が組まれており、その脚の部分に、松明がついているので、足元は十分に明るかった。そのまま少し歩くと、右手の壁が消えて、眼下には、巨大な竪穴が穿たれている。天然の石の柱に、木の足場が組まれ、そこここに、隠れ家の住人たちの姿が蠢いているのが見える。
「ずいぶんと立派な隠れ家ですね」
 階段を下りながら、エマが正直な感想を述べた。ミルウーダは黙っていたが、明らかに、目の前の空間に圧倒されているようであった。
 階段は、竪穴の底に達したところで終わり、そこで、二人を待ち構えていたように、若い男が歩み寄ってきて、
「ミルウーダさんですね?」
 と訊くので、黙ってうなずくと、
「お頭がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
 丁寧な物腰で、二人を奥へと誘っていく。途中何人かとすれ違ったが、誰も彼も手持ち無沙汰な様子で、物珍しげな目線を二人へ向けてくる。しかし中には、昂奮した様子で、議論を交わしている者たちもあるし、脇目も振らず、武器の手入れに徹している者もある。
「なかなか大きな所でしょう?」
 案内役の男がいった。
「うちのお頭が、廃棄された資源採掘場を貰い受けたんです。一から、こんな大きな隠れ家は作れませんからね」
 男の説明を聞いて、なるほど、と、ミルウーダは得心していた。よくよく見れば、採れた鉱物を運ぶのに使われていたものらしい荷車や滑車が、そこいらに、そのまま放置されている。が、そこに積まれているのは、今や鉱物ではなく、食料や、武器の類であった。
 二人は導かれるまま、竪穴の壁に無数に開いた横穴のひとつに入っていった。少し進むと、案内役の男は、髑髏の紋様を縫い付けた深緑の旗が、両脇に掛けられている扉の前で立ち止まった。彼はノックをしようと扉に近づいたが、内側から、思いがけず扉が開かれたので、とっさに、脇へ退いた。
 部屋の中から現れたのは、昨日、ハマと一緒にいた若い男──ルーファスであった。簾ののような髪の間から、今来たばかりの客人の方にその暗い眼を向けたかと思うと、何も言わず前に向き直って、大股で歩き去っていった。
 その様子から、何かただならぬものを感じたのか、案内役の男は、しばし呆然と、去っていくルーファスの背を眼で追っていたが、やっと、役目を思い出したように、
「あ、すみません。こちらです」
 慌てて二人を中へ誘った。ミルウーダは、微妙な空気を感じつつも、黙って部屋の中に足を踏み入れた。
 長方形の室内には、二十人掛けほどの細長い木の机が置かれ、その上座で、ハマが独り、腕組みして座っていた。二人が入ってきたのに気づくと、ハマは渋い顔を無理に明るくして、
「やあやあ、よくぞおいでくだすった!」
 立ち上がると、両手を大きく広げて、二人を迎え入れた。エマとミルウーダは、招かれるままに長机の席に着き、ハマは、案内役の男に何か飲み物を持ってくるように言いつけてから、上座に着かせたミルウーダの脇の席におさまった。
「昨日は、あのような形で、きちんとしたご挨拶もせず、まことに失礼をいたしました」
 ハマはまず、そう申し置きしてから、ハマと、その一味の身の上を、ぽつぽつと語り始めた。
 ハマという男もまた、ウィーグラフらと共に骸騎士団の一志士として、前の大戦に参加した者であった。戦後、恩賞の不行き届きと度重なる増税に堪えかねた不平騎士を集い、ウィーグラフの旗揚げに際しても、いち早くその旗下に参じたという。
 そして、此度のレアノールでの敗戦後、落ち延びてきた者どもをこの隠れ家に匿い、以来、ここで再起の日に備えているものである――
「しかし、かの決戦よりこの二月あまり、いま再びウィーグラフ立つとの音も聞かれず、一同、行く末も定まらぬていでして……。そんな折、角笛館であなたさまを見た時にはもう、身も奮えん思いがいたしましたもんで」
 ハマは、やけに興奮した様子で、どんぐり眼(まなこ)をぱちぱちさせている。ハマの話を聞くうちに、ミルウーダも、今やすかっり彼とその一味を信用する気になっていたが、自分にかけられた期待の想像以上に大きいことに、やや戸惑いを感じてもいた。
「ご覧のとおり、今は女の二人身ばかり。たいした力になれるとも思えないが」
「とんでもない! わしらにしてみれば、万の兵を得たも同じ心境です!」
「そんな……」
「うちの若い連中を見たでしょう? レアノールでの敗戦以来、どいつもこいつも意気消沈しちまって、再起の旗揚げに備える者なんぞ、これっぽっちもいやしない。しかし、今日、ここに英雄ウィーグラフどのの妹君が舞い戻った!」
「そういってもらえると嬉しいかぎりだが……私には、兄のような達見もなければ、武勇もない。あなた方の期待に添えられるとは……」
「ご謙遜を言いなさる! 人を惹きつける才能というものを、あなた方ご兄妹はお持ちである。わしのような凡下の身には、それがない。レアノールの戦いに、あれほど多くの義兵が集うたのも、ご兄妹のお力無くば、到底叶わなかったことです。ハドムにミルウーダ在りと聞けば、地方に落ち延びた同志たちも、きっと我らの旗下に馳せ参じることでしょう!」
 どこまでも前向きなハマの言葉である。少し大仰ではあるが、ミルウーダも、聞いていて悪い気は起きなかった。
 かといって、骸旅団を取巻く情勢の今や安からぬことは、ミルウーダ自身重々承知しているし、同志たちとて、一枚岩ではないことは、この眼で嫌というほど見てきているのである。
 そうした種々の懸念を踏まえたうえで、ミルウーダは、あくまで冷静に、ハマと意見を取り交わした。
 早々に再起を図るべきとするハマを抑え、今は兄ウィーグラフとの合流を果たすまで、力を蓄え、また、ギュスタヴ派の動静も見極めるべきだとした。
 キュスタヴの名を出した所で、ハマの表情が曇ったのを、ミルウーダは見逃さなかった。
 ハマの話を聞いて、ギュスタヴ一派によるエルムドア候誘拐の事実を、彼女は初めて知ったのだった。
「まさか、本当にやってのけるとは」
「わしも、その話を聞いた時は正直驚きました」
 ハマは、運ばれてきたばかりの豆茶をひといきに飲み干した。
「ギュスタヴの計画はご存知だったんで?」
「ああ。レアノールの戦いのあと、私はいちど彼に会っている。そのときに、要人を誘拐するという計画を持ちかけられた」
「そうでしたか。知恵者だということは知っとりましたが、あの狼のような男が、ここまで大それたことをしでかすとは、夢にも思いませなんだ。実をいいますと、うちの若い衆にも、ギュスタヴに協力すべきだという者が、少なからず出てきとるもんで」
「無理もないだろうな」
 ミルウーダの脳裏に、先ほどのルーファスの顔がちらついた。彼との間で、一悶着あったであろうことは、ハマの様子からも容易に想像できた。
「ギュスタヴとて、私利私欲であんなことをやったんではないでしょうが……しかし、やり方がちといただけない。我らの志は、まず戦──すなわち、人間同士、命を懸けて果たすべしというのが、ウィーグラフどののご意思でもありましょう」
「異論は無い」
「しかし、こういっちゃあナンですが、若い衆には、それが綺麗事に聞こえるようでして。なにせい、明日の生活をも知れぬ状況です。目前の大金に眼が眩んじまうのも、人間として仕方のないものでさあ」
「…………」
「ですが、人攫いをしてまで、わしは貴族どもに勝とうとは思わんのです。畏国の民も、そんなやり方は認めてくれんでしょう」
 兄ウィーグラフとともに、五十年戦争を戦い抜いた戦士らしい、実直さであった。兄も、ギュスタヴのやったことを聞けば、怒り狂うであろう──人攫いなどは、武人として、騎士として、恥ずべき行為であると。しかしそれは、ウィーグラフという男の甘さであるとも、思えなくはないミルウーダであった。
 現実は、想像以上に厳しい。人間は動物のようにはなれない。が、時として、人間は獣のように貪欲に、生にしがみつこうとする。それを当然のものとするか、忌むべきものとするか──この分裂を引き起こした根本には、そういった思想的相違があるようにも思える。
 この日から二週間あまりを、ミルウーダは、ハマの同志たちの説得に費やした。あえて非道を用いずとも、必ず勝利はもたらされると。
 多くの者は、彼女の言葉に耳を傾け、協賛の意を表してくれた。そこに、ミルウーダ自身の人間的魅力というものが、多分に作用していたことは疑いない。もちろんそれは、彼女の外見的なものだけではなく、言葉のひとつひとつに自然と勇気づけられるような、ある種の魔力とでもいうべきものであった。


 大方が、ミルウーダとの再起という方向に傾く中、ただ一人、ルーファスという男は、やんごとなき思惑を引っ提げて、単身、ハドムの街を治めるアズバール伯の館に赴いていた。
 後日、ルーファスの出奔を知ったハマも、あえてそれを重大な裏切り行為とはしなかった。
 ルーファスが、思想は異なるにせよ、同志には違いないギュスタヴのもとにではなく、"国家"という、正真正銘の"敵"のもとに下ろうなどとは、この時、彼も夢想だにしていなかったのである。


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